山口・宇部市には「長生炭鉱」という海底炭鉱があったが、1942年2月3日に坑道の天井が崩落した。海水が流入して183人が犠牲となり、遺骨は海底に残されたまま。当時、植民地だった朝鮮半島から労働者を動員していたなか、長生炭鉱は危険な炭鉱と知られていた。日本人鉱夫の代わりに朝鮮半島出身者が多く投入されたといい、犠牲者のうち136人を占めている。長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会の共同代表である井上洋子さんは傷痍軍人の父を持ち、国から補償がおりた。炭鉱の犠牲者たちを無下にはできないと遺骨調査を要望してきたが、国は重い腰を上げようとしない。そこで、寄付をもとに抗口を掘削するも水中は視界不良で、内部も崩れていた。
事故で父を失ったチョン・ソッコさんは毎年のように追悼式に参加してきた。だが、92歳を迎え、認知症も進む。日本人遺族の1人である常西勝彦さんは生まれる4日前、父が事故で命を落とした。刻む会は「ピーヤ」と呼ばれる排気口から潜水を試みると、坑道内は視界良好だった。すると、脚や腕など3人の人骨、頭蓋骨が見つかり、警察にDNA鑑定を依頼した。2週間後、刻む会は改めて国に調査を求めた。
事故で父を失ったチョン・ソッコさんは毎年のように追悼式に参加してきた。だが、92歳を迎え、認知症も進む。日本人遺族の1人である常西勝彦さんは生まれる4日前、父が事故で命を落とした。刻む会は「ピーヤ」と呼ばれる排気口から潜水を試みると、坑道内は視界良好だった。すると、脚や腕など3人の人骨、頭蓋骨が見つかり、警察にDNA鑑定を依頼した。2週間後、刻む会は改めて国に調査を求めた。
