事故が起きた福島第一原発。その場所には戦時中旧陸軍の磐城飛行場があった。飛行場があった場所を示す記念碑は今も原発の中に残されている。記念碑の発起人となったのは杉本正衛さん。家族を訪ねると、杉本さんが書いていた日記を紹介してもらったが、飛行場の情報がなかなか集まらなかったことも書かれていた。太平洋戦争末期に杉本さんは海兵団に入団し戦地に向かう予定だった。しかし身体検査の結果出征を見送られ、そのまま終戦を迎えたという。終戦後にふるさとに戻ってから20年ほどが経過し、地元に建設されたのが東京電力福島第一原発だった。その原発で守衛として働いていた杉本さんは、巡回するたびに敷地に残る残骸に心痛めていた。記念碑を建てるために当時の町長や福島第一原発に直接交渉した杉本さん。その思いが通じて完成したのは終戦から43年後の出来事。除幕式が行われたことを報じた新聞記事には記念碑を建てた時の思いも描かれていた。記念碑は一般の人も入れる展望台の近くに設けられた。その場所も現在は立ち入れなくなった。杉本さんは東日本大震災の半年ほど前に亡くなった。長男は原発事故で着の身着のまま避難したが、父が残した日記は置き去りにはできなかった。磐城飛行場のあったことを記す記念碑は、福島第一原発の廃炉が進むと同時に元の場所から移された。核物質防護の観点から撮影が困難であると東京電力から取材の許可は得られなかった。石碑の文字をうつしとってきた大熊町の鎌田さん。これからも街の歴史を残していくという大熊町では戦争の歴史を語り継ぐ新たな取り組みも始まった。
住所: 福島県双葉郡大熊町大字夫沢字北原22
URL: http://www.tepco.co.jp/nu/f1-np/press_f1/2014/2014-j.html
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