昭和12年、日中戦争が勃発。定治は陸軍に入り危険をともなう工兵になっていた。定治の部隊は満州へ向かった、高い緊張状態にあったソ連との国境付近での任務だった。定治は生き延び、昭和16年に陸軍を除隊。しかし、日本には帰らず満州にとどまる道を選んだ。定治が目をつけたのは満州の豊な食文化。持ち前の行動力を発揮して食堂をひらいた。そして、26歳の時にいとこの女性と結婚し長女が誕生。ところが戦争は激しさを増し、昭和20年に終戦。満州は混乱を極めた。引き上げ船が出ると聞いた定治は人数制限があったため妻と娘だけ先に日本に帰した。2人は秋田に無事戻ったが、すぐ戻るはずだった定治はなかなか戻ってこず、何の連絡もないまま2年の歳月が流れた。定治の妻は周囲の勧めで別の男性と一緒になったが、長女が小学1年生の時に突然定治が現れた。中国人になりすましていなければ日本に帰れず、それまで定治はしばらく中国人になりすましていたという。命からがら日本にたどり着いたが妻は他の男性と結婚した後だった。その後、定治は引き上げる途中に出会った女性と再婚し子を授かった。そして、これからの日本は肉の需要が増えると考え精肉店を開いた。その店にアルバイトにやってきた女性が鈴木ノリ子、後に真奈美の母となる女性だった。
住所: 秋田県秋田市山王4-1-1