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「立川談志」 のテレビ露出情報

ゲストのフットボールアワーが登場。後藤はフットボールアワーがコンビで揃って出演していることに驚かれることが多いという。また楽屋では一言も話さないと答えた。また今は喧嘩もないというが若い頃は喧嘩をしていたいうがネタのことでどんどん言い合いになると岩尾が泣いてしまうという。また仲が良くない時のネタ作りは作家に向かって話していると答えたが、後藤は岩尾はなにか引っかかった時にだけ反応してくるのでそれでようやく岩尾に顔が向けられるという。しかしその作家がやめてしまい今は2人だけでネタ作りなどをしていると答え、そのためにネタ作りのディスカッションの際は壁に向けるなどのお互いの絶妙な距離感があると説明した。またフットボールアワーは漫才のネタは台本には起こさないという。春日はそのフットボールアワーの発言にありえないと答えたが、後藤は言葉が決まっているほうがやりづらいと語る。また、フットボールアワーは2人でネタ作りをしているため、あらかじめ2人の頭に染み付いているという。ネタ尺についても相方にボケをしている中でいらないものが見えてくるというが、岩尾がどうしても後藤のツッコミの中でそれは入れたいと意見を尊重してくることがあるという。後藤は自分が考えたのになぜ岩尾がしがみついてくるのか理解できないと答えた。
またフットボールアワーは今漫才が終わったあと相方になにか言いたいことはあるか?について2人はないと答え未だにそうするのは嫌だと答えた。若林は漫才に台本がないコンビは実力者が多いと語ったが後藤は台本がないので振り返る事ができないという。そのために自分たちが過去に漫才をしている違法アップロードYouTubeが助かると答えた。かつてフットボールアワーはもともとやっていたコンビが解散しできたコンビだという。その当時は2人ともコントをしていたというが、後藤はそのコントの師匠としていたのはダウンタウンだったという。後藤と岩尾はそのことで意気投合し何時間もダウンタウンのごっつええ感じを熱く話し合っていたという。またM- 1について、第一回から出場しているフットボールアワーだがその時に松本人志に漫才をみてもらったという。しかしその時は低い点数をつけられてしまった。
第一回のM- 1について後藤はセットがまず暗かったという。厳かな雰囲気な上に当時の松本人志が人のネタで笑うなどありえないことだったと答えた。さらに第一回大会だったのでM- 1の予選に出ることは強制で、後藤はあまりの緊張でタバコを1カートン吸ってしまったと答えた。フットボールアワーはその時に松本人志につけられた点数は他の人が80点などという点数で55点をつけられたという。そのショックで芸人を引退しようとまで決意したと答えたが、その後ネタの作り方を根本的に見直し2002年にもう一度M- 1の舞台に立ったという。すると松本人志の点数が第一回の時よりもアップした上にネタに面白いと言ってくれたという。また他の審査員に去年は印象になかったがこんなに成長したのはすごいと言われたことは優勝した時よりも嬉しかったという。その後M- 1で優勝をするも、今のようにチャンピオンになると即日忙しくなると言った現象はなかったという。さらに東京にあったレギュラー番組も半年で終わってしまったと答えた。
2人はM- 1のあとも不遇の時代が続き、コンビ間にもなにか上手くいっていないという状態だけが続いていたという。また当時は多くの若手芸人がひな壇を囲んでの番組が多く、フットボールアワーもその中で必死に爪痕を残そうとしていたという。その中で後藤は当時同じようにひな壇で争っていた品川祐に関しては肩を入れてくるので大嫌いだったという。岩尾は前に出るタイプでもないのでただ収録が終わり何もできなかったと落ち込む日々が続いていたと答えたが、寝ることはできたために焦ることはなく同じ状態が続いていたという。しかしM- 1でのブラックマヨネーズの漫才に感銘を受け、もう一度M- 1の舞台に挑戦したという。しかし優勝はできず、かつて一緒にしのぎを削ってきた仲間が優勝するとその頃からM- 1がブレイクの足がかりになっていたという。さらにスポンサーのオートバックスでさえも当時のエンタの神様のブームに煽られ、自分たちの優勝年にはチャンピオンが暗黙の了解で出演するのに、そのCMにすらでられなかったと答えた。
後藤は当時いじられていたか?についてどうしてもそれが岩尾の方に流れていたために、じゃない方の典型だったという。岩尾ばかりにCMなどの話があり、当時はブサイクキャラで売れていたと答えた。しかしなぜか自分も同時多発的にイジられるようになったという。それは大阪の番組から始まったというがいつしかアメトーーク!でも有吉弘行にイジられるようになったが、その振る舞いに達者だねと言われたという。後藤は行きまっせという感じが鼻についていたと気付いたという。また後藤はオードリーに報告しなければいけないことに、姉から連絡が来てある1本の動画が添付されていたという。その動画はオードリーの番組で大分のロケの番組の内容だったがその意図がわからなかったという。しかし見ていくと漫才の38マイクを作っているというSONYの工場に行く流れになり、そのマイクを作っているのはこの女性だけと紹介されていた。その女性がフットボールアワーの後藤が好き答えていたことにものすごく嬉しかったという。後藤は番組内でこの38マイクがふるさと納税で購入できると知ってふるさと納税をはじめて利用したという。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年6月8日放送 5:20 - 5:50 NHK総合
桂文枝の演芸図鑑桂文枝のスペシャル対談
三遊亭円楽が登場し、襲名披露公演に駆けつけてくれた桂文枝に感謝した。また、春風亭小朝からは「昔の名人上手を聴いて聴いて聴きまくる」、「上手い人に習いなさい」と言われたことがあるという。なお、円楽は父である三遊亭好楽とともに五代目円楽に入門しているため、兄弟弟子の間柄でもある。どういう噺家になりたいか聞かれると、三遊亭円楽は役者業への挑戦を明かした。春風亭昇太[…続きを読む]

2025年6月6日放送 15:40 - 16:54 テレビ東京
よじごじDays長い歴史にはワケがある!神田 老舗めぐり
1846年創業「天野屋」は糀から作った味噌などの商品を集まっている。中でも看板商品は江戸時代からの製法を守り熟成させた糀の甘みで作る甘酒。その味は名だたる著名人たちからも愛されている。糀は地下6mのレンガ造りの土室で作っている。土室は保湿性が高く温度が一定のため糀作りに適している。さじ加減ひとつで仕上がりが変化してしまうため糀作りは毎日こまめに手入れをしなけ[…続きを読む]

2025年5月10日放送 20:54 - 21:00 日本テレビ
シャカレキ!〜社会歴史研究部〜(シャカレキ!〜社会歴史研究部〜)
1966年5月15日、日本テレビで現在も続く演芸番組「笑点」が放送開始。初代司会者は落語会・立川談志。大喜利コーナーでの回答のご褒美に座布団をもらえる仕組みは画期的だった。放送は回を重ね今では日曜夕方を代表する国民的人気番組になっている。

2025年4月8日放送 20:54 - 21:54 テレビ東京
開運!なんでも鑑定団(開運!なんでも鑑定団)
ゲストであるますだおかだ・増田の依頼品はダンプ松本の髪の毛。1985年に長与千種とダンプ松本で敗者髪切りデスマッチが行われ、長与千種が敗戦し丸坊主になった。その翌年に第2回が行われ、今度はダンプ松本が敗北し丸坊主になった。増田は当時高校生でリングサイドで観戦していて、髪をもらい実家で保管していた。本人評価額は5万円で、鑑定額は30万円。実際の髪の毛だと認定さ[…続きを読む]

2025年4月4日放送 1:26 - 1:56 テレビ朝日
上田ちゃんネル上田ちゃんネル
BOOMERの点数は259点。その結果優勝した。

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