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「第五福竜丸」 のテレビ露出情報

広島と長崎への原爆の投下、第五福竜丸が被ばくしたビキニ事件に続く“第四の被ばく”ともいえる事件の詳しい実態が初めて明らかになった。1958年7月、国際的な観測プロジェクトの一環で、太平洋を航海していた海上保安庁の測量船「拓洋」と、巡視船「さつま」の2隻が、米国がビキニ環礁で行った水爆実験に遭遇し、乗組員が被ばくした。1年後、拓洋の首席機関士を務めていた永野博吉さんが急性骨髄性白血病で死亡したが、国は被ばくの線量は微量で、直接関連づけることは困難だとした。NHKは、事件の2か月後に、当時、在日米国大使館の書記官を務めていたリチャードスナイダー元国務次官補代理が、事件の経緯や日本社会の反応を詳細にまとめた文書を入手した。この中で事件直後の日本社会の反応について「即座に1954年に起きた第五福竜丸事件を思い起こさせた」と記して、4年前に起きたビキニ事件に触れ、「核実験問題を巡る日米対立を深刻に悪化させる可能性を否定できなかった」としている。その上で、ラバウルに医師団を派遣した米国の対応や、影響がないとした身体検査の結果を公表した日本政府の対応に言及し、「放射線障害に対する不安を効果的に鎮めることができた」「日米の関係を崩さないよう両国で巧みに対処した」と評価している。そして自らの所感として、「日本人の根底には米国の核実験は不快で人体に害を及ぼす危険があるという意識がある。しかし、それは避けられないものであり、一部の人は国際情勢に照らすと、核実験が正当化されるという考えにさえ至ったようだ」などと書き記している。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年12月29日放送 9:54 - 16:30 TBS
報道の日テレビ報道70年 8つの禁断ニュース
1953年、ニューヨーク国連本部での米国・アイゼンハワー大統領(当時)の演説から始まった。米ソ冷戦の只中に呼びかけられた原子力の平和利用。真の狙いはソ連を牽制し核開発で優位に立つことだったとアメリカン大学歴史学・ピーターカズニック教授は分析した。1954年3月、太平洋のビキニ環礁で水爆実験を行った米国。第五福竜丸の乗組員23人が被ばくした(のちに1人が死亡)[…続きを読む]

2024年12月26日放送 10:25 - 13:00 テレビ朝日
大下容子ワイド!スクランブルNEWSドリル
被爆者を描いたアイスランドの映画「TOUCH/タッチ」が、2025年1月24日(金)に日本でも公開される予定。アイスランド人の主人公・クリストファーが、50年前に恋に落ち、突然姿を消した日本人女性・ミコ(Koki,)を探して旅をする。ミコが「被爆者」であることを告白するシーンもある。コルマウクル監督は「若者が広島、長崎の歴史を十分に認識していないと感じている[…続きを読む]

2024年12月10日放送 3:45 - 4:30 TBS
TBS NEWS(ニュース)
ノーベル平和賞授賞式が行われるのを前に日本被団協の結成当時を知る97歳の被爆者・阿部静子さんににインタビューをした。阿部静子さんは結婚して間もない18歳のとき広島で被爆。原爆の熱戦で顔や右半身に大やけどを負った。当時広島の被爆者は原爆の放射線による障害や差別、貧困に苦しみながらひっそりと生きていた。流れが変わったのは被爆から10年後の1954年米国の水爆実験[…続きを読む]

2024年12月9日放送 10:25 - 13:55 TBS
ひるおびJNN NEWS
あすノーベル平和賞授賞式が行われるのを前に日本被団協の結成当時を知る97歳の被爆者・阿部静子さんににインタビューをした。阿部静子さんは結婚して間もない18歳のとき広島で被爆。原爆の熱戦で顔や右半身に大やけどを負った。当時広島の被爆者は原爆の放射線による障害や差別、貧困に苦しみながらひっそりと生きていた。流れが変わったのは被爆から10年後の1954年米国の水爆[…続きを読む]

2024年10月26日放送 12:40 - 12:45 NHK総合
Nスペ5min.(Nスペ5min.)
1958年7月12日第4の被曝があった。アメリカが核実験を繰り返していた太平洋の危険区域のそばを通った海上保安庁の測量船と巡視船に乗っていた乗組員が放射線をあびた。放射線をあびた永野さんは被曝から1年後急性骨髄性白血病で亡くなった。永野さんの妻は国の役人から口止めされたことを覚えている。被爆した1958年は日米安全保障条約改定交渉が行われていた。

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