社長の北島は現場に赴いて挑戦することへの思いを直接伝えている。その歴史が始まったのは1876年。活版印刷所として銀座で創業した。活版印刷の技術は当時の最先端で戦後の高度経済成長期は出版物以外にも、事業を広げていき第二の創業へ。チキンラーメンの袋も大日本印刷が手掛けた。さらにブラウン管のカラーテレビの開発にも一役買い、印刷技術を発展させカラー化にかかせない、シャドウマスクという細かい穴が空いた金属板を開発。多方面で存在感を放つ総合印刷会社に銀行出身の北島が入社したのは1995年。経営は順調だったが、注文ありきの受注型の仕事に北島は危機感を募らせていたという。そこで父でもある当時の社長と掲げたのは、自ら新しい製品や、サービスを生み出す第三の創業。社員自ら立ち上げたビジネスで年々事業が拡大しているものがメタバースと呼ばれる仮想空間の事業。自分の分身のアバターで活動しコロナ禍をきっかけに広がった。今このメタバースを取り入れ始めているのが各地の自治体。出向かなければできなかった申請や相談が仮想空間上でできるシステムを導入する自治体が増えている。現在100人ほどいるチームのメンバーは多くは素人同然のスタート。去年の春に3ヶ月にわたり基礎からみっちり特訓した。