8年前におきた相模原市の津久井やまゆり園でおきた殺傷事件で19歳の娘を亡くした母親が、1通の手紙から始まった別の母親との交流に支えられてきた。命を巡る2人の母親の思いを取材した。事件では当初、犠牲者全員が匿名とされたが母親は3年半後の裁判でも甲A、乙Bなどと匿名で審理されると知り、女性は娘の名前を公表した。すると名前を明かして3か月後、弁護士宛てに1通の手紙が届く。障害のある子を1人で育てる鳥取県内の母親からだった。手紙を送った女性は鳥取県米子市で障害者支援に取り組むNPO法人の代表を務めている。自身も知的障害のある息子と2人で暮らす中、被害者が匿名となる現状に歯がゆさを感じていた。そこから始まった2人の交流。4年余りにわたって手紙や電話、実際に会って話す中で気持ちの変化が生じた。それまで差別や偏見が根強い社会に苦しんできただけに自分が息子の介助をできなくなったら一緒に死んだほうがいいとさえ考えていた。しかし被害者の母親から届いた手紙には「私が娘にできること、障害のある方が少しでも生活しやすい、生きやすい社会になるように何かできることをしていきたい」と記されていた。娘を亡くした今も模索を続ける姿に、自分も諦めずに息子たちが生きやすい社会に変えていきたいと考えるようになった。今、女性は障害のある人とない人の交流の場を増やそうと取り組んでいるほか新たに障害のある人やその家族の思いを伝える情報誌も発行。被害者の母親にも寄稿してもらいそのことばを届けている。1通の手紙から始まった交流。被害者の母親もまたその存在に励まされながら命の大切さを伝えていきたいと考えている。