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「米沢市(山形)」 のテレビ露出情報

きょうも雪が降り続いている新潟・魚沼市。自力で除雪することが難しい人たちからは、今後の生活を心配する声が聞かれた。山あいの地区に住む高齢の夫婦は、雪かきを2人で協力して行っているが、連日の大雪で作業が追いつかなくなっている。特に困っているというのは、屋根の雪下ろし。ふだんは行政の支援を依頼しているが、ことしは順番が回ってこず、5日ほど待つこともあった。屋根には下ろしきれなかったという雪も。雪の重みで、玄関の扉が半分開かなくなっていた。不安を抱える住民のために、警戒を強めている地区もある。新潟・魚沼市の堀之内地区・民生委員・大久保康夫さんは、大雪が続く中、高齢の世帯を中心に見回りを続けている。大久保さんは「まだまだ気が抜けない」と語った。連日の大雪の影響で、除雪を担う建設会社では、長時間労働が続いている。作業の日報を紹介。作業員によっては、今月10日間連続で1時間の休憩を挟んで、午前1時〜午後5時まで作業を行っている。建設業界の人手不足から交代要員を確保できず、特定の作業員が毎回出勤し負担も大きくなっている。建設会社・中村誠部長代理は「ものすごく過酷なスケジュールだった。ライフラインの確保は非常に重要。なんとかやる」と語った。山形・米沢市。豪雪地帯として知られるこの地域でも、長引く寒波は家計に影響を及ぼしている。市内に住む夫婦は、子どもや孫と一緒に生活している。大雪と寒さの影響は、雪国には欠かせない暖房費に出ているという。自宅にある7台の石油ストーブは、休日にはすべて稼働させることもある。消費量は去年より増えていて、遠藤さん夫婦は月に2回程度、配達を依頼。さらに灯油の値段も上がっていると感じている。灯油の値段はどの程度上がっているのか。市内で1日に100件ほど灯油を配達している会社。この数年間、値上がり傾向にある。燃料販売業者・藤本信頼久営業部長は「18リットルで去年から比べて約200円、4年前と比べて約700円変わっている」と語った。雪国では生活必需品となっている灯油。あすも100件以上に配達する予定だという。藤本営業部長は「なるべく努力して価格も頑張って、切らさないよう配達していきたい」と語った。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年9月19日放送 11:30 - 11:45 NHK総合
RAMEN JAPAN(RAMEN JAPAN)
外食でラーメンに使う1世帯あたりの金額が全国1位の山形市。地域では蕎麦屋で振る舞われるラーメンも人気で、こうしたスタイルが昔から根付いているんだそう。スープには鰹節や昆布のほか、牛骨など使用。
蕎麦屋で振る舞われるラーメンが人気の山形。関東大震災で被災した中華料理職人らが山形に移り住み、蕎麦屋がその受け皿になったことなどが要因。肉牛の産地でもあることから、[…続きを読む]

2025年9月9日放送 23:04 - 23:12 テレビ東京
みどりをつなぐヒト(みどりをつなぐヒト)
山形県米沢市にある山形大学教授の古川英光さんは、食品を立体的に造形できる3Dフードプリンターを開発した。下処理した食材を液体窒素で急速冷凍して粉砕、水やゲル化剤を混ぜ合わせインクとなるペーストをつくる。3Dフードプリンターで1ミリ以下のインクを一筆書きのように少しずつ重ねて立体に成形する。コリコリ食感やふんわり食感も再現が可能。食品ロスの削減と介護食や医療現[…続きを読む]

2025年8月31日放送 6:00 - 6:45 TBS
バナナマンの早起きせっかくグルメ!!(バナナマンの早起きせっかくグルメ!!)
醤油ラーメン好きの設楽にぜひ教えたい王道の醤油ラーメンを紹介。一品目は千葉県野田市「ゆたかや食堂」の「醤油ラーメン」。節系の出しが香る昔懐かしい味わいで、チャーシュー、海苔、メンマ、なると、ほうれん草にちぢ れ麺という王道スタイルのラーメン。二品目は山形県米沢市「そばの店 ひらま」の「中華そば」。チャーシュー、海苔、メンマなどのシンプルながら王道の具材にちぢ[…続きを読む]

2025年8月21日放送 21:00 - 21:54 日本テレビ
秘密のケンミンSHOW 極!新企画!秘密のタダウマい飯
山形県長井市の鈴木さん宅で、「ひょうのにんにく醤油おひたし」の作り方を紹介。スナックマドンナで、ひょうとモロヘイヤのたたきと、ひょうのおひたしを紹介。米沢藩の上杉鷹山は、節約のため雑草・ひょうを食べることを推奨した。山形大学・小酒井教授が「ひょうにはオメガ3脂肪酸などの栄養成分が含まれるので食べたほうがいい」と語った。credoは、レストランガイド「ゴ・エ・[…続きを読む]

2025年8月16日放送 17:30 - 18:50 TBS
報道特集(特集)
京都市に住む原田完さん(75)は鳥取高等女学校時代の写真を見せる。山田寿子さんは鳥取から上京後、開業医の手伝いとして働いた。そこで貧しい患者が医療を受けられない現実を目の当たりにしたことをきっかけに、日本共産党に入党。1930年、横浜で大規模なストライキが行われる前日に拠点が一斉捜索をされ特高警察に検挙された。山田寿子さんが戦後に書き残した手記には、「大の男[…続きを読む]

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