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「糸満市(沖縄)」 のテレビ露出情報

天皇ご一家 沖縄慰霊の旅を伝える。天皇皇后両陛下と長女愛子さまは6月4日から2日間戦後80年にあたり戦没者を慰霊するため沖縄県を訪れた。両陛下の沖縄訪問は即位後2回目で3年ぶり、愛子さまは初となる。到着後に国立沖縄戦没者墓苑の摩文仁の丘を訪れ納骨堂の前で白い花を手向け深い拝礼、様子を見守った遺族らに声をかけていた。太平洋戦争末期、激しい地上戦で20万を超える人が犠牲となった沖縄、今年の誕生日会見で陛下は「戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に悲惨な体験がや歴史が伝えられていくことが大切であると考える」と述べ、その思いから愛子さまの同行が実現したという。沖縄県平和祈念資料館では沖縄戦を生き延びた人々の証言の展示を見て愛子さまは当時14歳の少女の証言に真剣に目を通していた。戦争体験者や語り部活動を行う若者たちとの懇談では涙ながらに過酷な体験を語った女性に皇后さまは気遣ったということ。
那覇市の宿泊先では本土との交流行事に参加した8人の元豆記者が出迎えた。交流は上皇ご夫妻が始め陛下も小さい頃から同席、平成に入ってからは両陛下に引き継がれ愛子さまも参加していた。平成28年には中学3年生の愛子さまも同世代の子どもたちと交流しバレーボールをしたといい金城若葉さんは「豆記者との交流を沖縄のことを思ってくれて長く続けてくれていることにとてもありがたい気持ち」と話した。この日の夜には宿泊先近くの公園に約5000人が提灯を掲げご一家の歓迎を行った。翌日、ご一家はアメリカ軍に撃沈された対馬丸の犠牲者らの慰霊する塔に花を手向け拝礼した。昭和19年8月に疎開先の長崎にむかっていた学童疎開船対馬丸は1500人近くが犠牲になり1000人あまりが15歳以下だった。対馬丸記念館で遺品などを見た後、生存者や遺族と交流、元館長の高良政勝さんは平成26年の上皇ご夫妻訪問時に案内を行っていた。天皇ご夫妻は上皇ご夫妻から対馬丸の話を聞いていたということ。
伝統のかりゆしに着替え那覇市の首里城公園を訪れたご一家、50年前に行われた沖縄海洋博の企画展をみた。ショーで活躍したイルカのオキちゃんは飼育50年となったということ。火災で焼失した首里城の復元作業も視察、現場で活躍する20代の宮大工に愛子さまは質問、皇后さまも多くの人が完成を楽しみにしていると励ましたということ。今回の訪問で多くの人と交流し戦争の記憶と向き合った両陛下と愛子さまは苦難の道を進んできた沖縄の人々に心を寄せ平和への思いを新たにしたということ。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年9月2日放送 15:21 - 16:00 NHK総合
午後LIVE ニュースーン(ニュース)
今年は沖縄からの移民らを乗せた舩が最初にハワイに到着してから125年の節目で、ハワイには沖縄にルーツを持つ人が約5万人いるとみられている。ハワイ・オアフ島から中継。移民90周年を記念して創られたハワイ沖縄センターは、屋根に赤瓦が使われており、建物の横には沖縄で海外移民の父と呼ばれている當山久三の像が建てられている。沖縄からハワイを始め、アメリカ本土などへも移[…続きを読む]

2025年8月29日放送 16:48 - 18:50 テレビ朝日
スーパーJチャンネル(ニュース)
那覇海上保安部によると今月16日に沖縄県糸満市で目撃された物体は、北西に移動し慶良間諸島の前島周辺に移動したという。先端は海底で引っかかっており、水面に出ている部分が約3m、海中に約13m。ディーズパルス沖縄の矢野貢店長は、キャビンのようなものがあるのでヨットではないか、潮の流れに流されながら浅瀬に引っかかっており藻が付いているの数ヶ月流されてきたと思う、船[…続きを読む]

2025年8月24日放送 5:45 - 6:15 日本テレビ
皇室日記(皇室日記 拡大版)
6月初旬、天皇皇后両陛下、愛子さまは沖縄を訪問された。平和の礎には沖縄戦の犠牲者ら24万人の名前が刻まれている。照屋苗子さんは家族5人と死別した。弟は3歳、妹は1歳だった。1993年、上皇ご夫妻が初めて沖縄を訪問され、照屋さんは遺族の1人として面会された。戦争の早期終結の決断を下せなかったのは何故か、割り切れない思いを抱いていたという。

2025年8月19日放送 11:30 - 11:50 フジテレビ
FNN Live News days(ニュース)
きょうの気温は富山市で35.4℃を記録し、予想最高気温は群馬・前橋市などで38℃、東京都心は35℃で2日連続の猛暑日かとみられる。関東・東海では週末にかけ40℃に迫る日もあるとみられ、厳しい残暑は8月いっぱいは長引く予想。一方沖縄・北海道では激しい雨となっており、あす昼までの予想降水量は沖縄地方で100ミリ。

2025年8月18日放送 0:55 - 1:25 日本テレビ
NNNドキュメント’25(NNNドキュメント’25)
今も残る80年前の痕跡。20万人余りが犠牲となった沖縄戦。砲弾の雨から逃れるため、住民や日本兵が身を寄せていたのが自然洞窟である。沖縄の方言で”ガマ”という。20年以上にわたり、独自にガマを調査している男性は戦争の実相とは何か置い続けている。崩落・劣化により80年前の戦争を静かに語るガマが消えようとしていた。外国人観光客で賑わう東京・浅草。そこで今年6月に開[…続きを読む]

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