2005年、存続の危機になった運転支援システムのプロジェクト。柴田の元には12人のメンバーが残った。当時入社4年目・丸山匡はつまらなかったら辞めてやると斜に構えていた新時代、面倒な質問もすべて受け止めてくれる柴田の優しさが忘れられなかった。行き場をなくしていた高橋靖は柴田に一緒にやろうと誘われ、やってやるかという気持ちになったという。紺野は柴田に助け舟を出した。群馬県庁に地元企業への補助金を担当する職員がいると教えてくれた。担当者は古仙孝一。話を聞いたがこれでは補助金は難しいと思った。柴田は引き下がらず改めて考えた。そこで警報だけではなく自動でブレーキがかかるところまで実現しようと考えた。この話を聞き、半年後、補助金が下りた。しかし金額は開発1年分だった。柴田はブレーキ制御は丸山に託した。さらに画像認識を最高レベルにまで高めるため、チーム全員で日本の主要道路を次々と走破した。しかし、どうしても夜の雨がクリアできなかった。窓ガラスについた水滴で映像は滲み、光が反射し前の車を正確に認識できなかった。柴田がこの課題を託したのは中途入社の齋藤徹だった。齋藤徹はライバル会社でやりがいを見出だせず柴田の元にやってきた。ある日、齋藤はテールランプだけを認識させることを思いついた。メンバーたちは雨の千葉へと向かった。すると夜の雨でも見事に車間距離をはじき出した。2007年秋、開発した新機能を社内でプレゼンするときがきた。柴田が用意した動画を見た役員は商品化にGOサインを出した。2010年、完全停止を実現。搭載した車の事故率は6減り、世界で累計600万台以上を売り上げた。
住所: 群馬県前橋市大手町1-1-1
URL: http://www.pref.gunma.jp/
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