松井秀喜には忘れられない出来事がある。エンゼルスに移籍した直後の初のヤンキースタジアム。試合前にはワールドシリーズで優勝した際のリングの贈呈式が行われた。その時観客からスタンディングオベーションで迎えられた。盟友ジーターらと熱い抱擁を交わした。松井氏は「球場でプロ野球ちょうど20年やったけどユニホームを着て球場で涙が出そうなのをこらえたのはあの時だけだった。プレー中に泣きそうになったことは1回もないがあのセレモニーのあの瞬間だけあっ、これは危ないって思った。今思うと、彼らの策略だったんじゃないかなと思って。松井の感情を乱して試合で打たせないようにしようって。実際、打てなかったけど」と振り返った。更に、ヤンキースは引退する松井のため1日限定で契約。最後の花道も用意した。記念ユニホームを手渡したのはジーターだった。有働からジーターについて聞かれた松井氏は「野球選手としてももちろん素晴らしいが、ジーターという人間が野球選手として以前に人間として素晴らしい」とコメントした。松井と同い年で苦楽をともにし名門ヤンキースをけん引したスーパースター。松井氏は「野球となると誰にでも闘争心を出す。本当になかなかいない人間だなと思う。本当にそういう出会いというのは非常にラッキーだったし。いい時代にヤンキースに来れたなと思った」と振り返った。
松井秀喜は巨人のユニホームを脱ぐことになった長嶋茂雄監督の最後の姿をグラウンドで見つめたときも涙が出そうになったと振り返った。「だって、それまで9年間毎日見てもらってたわけじゃないですか。その日々が終わると思うだけでもその日々を思い返す、一瞬にして。それだけで、もう本当に泣きそうになった」と語っていた。東京ドームの最後の試合が最後の素振りだと思ってやった。そしたら、もう1試合だけ甲子園が残ってた。甲子園に移動する日、朝移動して試合にこれから行くという時に部屋に電話がかかってきて監督から「今日もやるぞ」っていわれ「昨日の涙は何だったんだと思った」とコメントした。
メジャー挑戦の2年目、長嶋茂雄が脳梗塞に倒れ病院に緊急搬送された。松井氏は当時を振り返り「私が2年目のシーズンが始まる前に病気になられた。そのあとは、ただ喜ばせたい元気な姿を見せたい自分が活躍すれば絶対喜んでくれるはずだってその一心だった。長嶋さんを喜ばせたいとバットを振り続けていたという松井はこの年、メジャー自己最多のホームラン数を記録した。巨人時代だけでなくヤンキースの松井を奮い立たせていたのもまた長嶋さんの存在だった。
2025年6月3日、長嶋さんが亡くなり告別式で松井が弔辞を読むことになり冒頭「監督、きょうは素振りないですよね」とコメントした。
松井秀喜は巨人のユニホームを脱ぐことになった長嶋茂雄監督の最後の姿をグラウンドで見つめたときも涙が出そうになったと振り返った。「だって、それまで9年間毎日見てもらってたわけじゃないですか。その日々が終わると思うだけでもその日々を思い返す、一瞬にして。それだけで、もう本当に泣きそうになった」と語っていた。東京ドームの最後の試合が最後の素振りだと思ってやった。そしたら、もう1試合だけ甲子園が残ってた。甲子園に移動する日、朝移動して試合にこれから行くという時に部屋に電話がかかってきて監督から「今日もやるぞ」っていわれ「昨日の涙は何だったんだと思った」とコメントした。
メジャー挑戦の2年目、長嶋茂雄が脳梗塞に倒れ病院に緊急搬送された。松井氏は当時を振り返り「私が2年目のシーズンが始まる前に病気になられた。そのあとは、ただ喜ばせたい元気な姿を見せたい自分が活躍すれば絶対喜んでくれるはずだってその一心だった。長嶋さんを喜ばせたいとバットを振り続けていたという松井はこの年、メジャー自己最多のホームラン数を記録した。巨人時代だけでなくヤンキースの松井を奮い立たせていたのもまた長嶋さんの存在だった。
2025年6月3日、長嶋さんが亡くなり告別式で松井が弔辞を読むことになり冒頭「監督、きょうは素振りないですよね」とコメントした。
