島田氏の祖父が始めた洋食店は都内でも屈指の名店と評されていた。三代目の父の姿は小学生時代には魅力的だったといい、卒業文集には「家を継ぐ」と綴っていた。高校卒業後、ホテルで料理の基礎を学び、21歳の時に実家で働き始めた。父から言われた言葉は「見て覚えなさい」で、一挙手一投足に目を凝らした。4年後のある日、父は「後やっとけ」と言い、厨房を辞去した。島田氏は伝統の重みを感じつつ、カツレツを供すると客は美味しそうに食していて、父は「緊張したろ」、「こういうのって忘れない」と話してきたという。それ以降、料理を教えるようになった父は島田氏が32歳の時に末期の膵臓がんと診断された。ある夏の夜、父に「俺が亡くなってもやっていけるか」と尋られると、島田氏は「任せてください」と約束した。
父の死去後、島田氏は教えられた通りに料理を振る舞うも、「味が落ちた」という噂が耳に届いた。だが、父の代から店に通い続けてくれた1人、根岸正子さんは島田氏の料理を支持した。島田氏は目の前の仕事に集中し、雑音を遠ざけた。いいと思えばレシピにも手を加える。
父の死去後、島田氏は教えられた通りに料理を振る舞うも、「味が落ちた」という噂が耳に届いた。だが、父の代から店に通い続けてくれた1人、根岸正子さんは島田氏の料理を支持した。島田氏は目の前の仕事に集中し、雑音を遠ざけた。いいと思えばレシピにも手を加える。
