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老舗洋食店の四代目、島田良彦氏に密着。同じ料理人をも唸らせる数々の逸品を提供する。
開店3時間前の午前8時半、島田良彦氏は取材陣を出迎えると、「カメラにはいつまでたっても慣れない」と吐露した。島田氏は老舗洋食店の4代目で、実弟の克彦氏は極上の素材を仕入れる。初代は祖父の信二郎氏。池波正太郎をはじめ数多くの文化人に支持されてきた。カツレツに使う豚ロースは創業以来、店主自らが目利きする習わしで、ブランドや産地は固定しない。午前11時、店がオープン。一番人気はカツレツで、島田氏は120度でじんわり揚げていく。追求するのは豚本来の旨味と香りで、水分が抜けると気泡が細かくなってくる。仕上げに火力をやや強め、旨味と香りを衣に充満させた。その味は殊更に主張が強いわけではないが、どこか優しく、力強い。他にも20日かけて作ったデミグラスソースが絶品のタンシチューなども手掛けていて、多くの人に洋食に親しんで貰いたいという祖父の思いを今に伝える。
島田氏は豚肉の旨味と香りを際立たせるためにカツレツの衣を15%薄くするなど、納得したものを客に届けようとしていて、「伝統や歴史などと言う前にやることをしっかりとやる」と話す。
フライを揚げる油は豚ロースの脂身を切り出し、1時間かけてじっくりと火を通して作っている。島田氏曰く、”ちょうどいい”が一番いいが、とにかく難しいという。午後2時、昼の営業を終えると大女将の母親らスタッフらと遅い昼食を摂った。夜の営業が終わるのは8時で、店内の清掃を終えると9時を回っていた。島田氏はようやく椅子に腰を落ち着けた。
取材を初めて2週間余りが経過すると、島田氏は右手首を案じていた。重度の腱鞘炎だというが、1日1000回にのぼる、肉の繊維をほぐす作業は他の人に託しはしない。伝統とは1つでも揺るがせにした瞬間から崩壊するものだという。
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- 腱鞘炎
島田良彦氏は衣を薄くすることで白魚の繊細な風味をより際立たせられないか、フライの調理過程を見直すことにしていた。白魚と衣を一握りしてから油に投入すると、白魚はバラけず、納得の味に仕上がっていた様子だった。その翌日も試作を行っていて、島田氏は「夢中なものがあるというのは幸せ」と吐露した。そして、試行錯誤の末、味に繋がっていくという。3日後、名うての天ぷら職人、近藤文夫氏が来店。島田氏は白魚の天ぷらを供したところ、一口食した近藤氏は断面に着目していた。揚げすぎることなく、感心するほどの味わいに仕上がっていて、島田良彦氏らしい揚げ方と感じたという。
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島田氏の祖父が始めた洋食店は都内でも屈指の名店と評されていた。三代目の父の姿は小学生時代には魅力的だったといい、卒業文集には「家を継ぐ」と綴っていた。高校卒業後、ホテルで料理の基礎を学び、21歳の時に実家で働き始めた。父から言われた言葉は「見て覚えなさい」で、一挙手一投足に目を凝らした。4年後のある日、父は「後やっとけ」と言い、厨房を辞去した。島田氏は伝統の重みを感じつつ、カツレツを供すると客は美味しそうに食していて、父は「緊張したろ」、「こういうのって忘れない」と話してきたという。それ以降、料理を教えるようになった父は島田氏が32歳の時に末期の膵臓がんと診断された。ある夏の夜、父に「俺が亡くなってもやっていけるか」と尋られると、島田氏は「任せてください」と約束した。
父の死去後、島田氏は教えられた通りに料理を振る舞うも、「味が落ちた」という噂が耳に届いた。だが、父の代から店に通い続けてくれた1人、根岸正子さんは島田氏の料理を支持した。島田氏は目の前の仕事に集中し、雑音を遠ざけた。いいと思えばレシピにも手を加える。
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今年3月、新型コロナウイルスが流行し始め、島田氏の店では客が激減。また、長引く不況、後継者不足などで厳しい経営を強いられている老舗は少なくなく、氏が懇意にしてきた老舗うなぎ店も同様だった。ほとんどの予約がキャンセルになっていくなか、島田氏の店では1組の予約が残っていた。4代目として店を継いだ時に温かい言葉をかけてくれた根岸正子さんの遺族で、49日の法要を店で開きたいという。息子の学さんが事前の打ち合わせのために店に訪れ、亡母との思い出話を明かすと、島田氏は目頭を押さえていた。
根岸さんのためだけに店を開くことにし、島田氏は正子さんが必ず注文したメニューを供した。正子さんが長年に渡って、島田氏の料理を愛したのか、今となっては分からないが、最善を尽くすことが恩返しだと作業に専心した。
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島田良彦氏は「質の高い仕事を信念を持って貫く、それがプロフェッショナルだと思う」と語った。
「新プロジェクトX~挑戦者たち~」の番組宣伝。
