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「茨城県立歴史館」 のテレビ露出情報

2024年2月、阿部さんが向かったのは茨城県常陸大宮市にある「西ノ内紙 紙のさと」。店内にある和紙は原料作りから全て紙漉き職人の手で作られたもの。実は茨城県北西部では紙作りが盛ん。豊富な水と原料となる木がよく育つ寒暖差のある気候が和紙作りに適している。1688年、この和紙に目をつけたのが水戸黄門として知られる水戸藩主 徳川光圀。当時、財政難に苦しんでいたことから水戸藩が生産を保護し、独占的に紙を販売するようになり、紙作りは盛んになっていった。この時、それまでバラバラだった紙の原料や大きさの規格が定められ、紙の品質が守られた伝統の和紙は西ノ内紙と名付けられた。江戸時代から受け継がれる製法で作られる西ノ内紙。その技術は歴史上・芸術上で価値の高いものとして茨城県の無形文化財に指定されている。和紙の原料は楮・三椏・雁皮。この3種類の中で西ノ内紙が使っているのが楮。楮は繊維が最も長く、西ノ内紙の最大の特徴である丈夫さが生まれる。傘や提灯などにも向いているそう。今回は西ノ内紙を壁紙として使う。楮は成長が速く、1年で約3メートルになる。夏の楮は成長途中で繊維が弱いため冬に刈り取る。実は楮の一部しか原料にはならない。私たちが普段使っている紙などは洋紙と呼ばれ、木材パルプという木の幹を細かく砕いた繊維を使うのに対し、和紙は繊維の長い木の皮部分だけを使う。刈った楮は皮を剥きやすくするために作業場で蒸す。樹皮が柔らかくなったところで皮を剥く。1本1本手作業。剥き終わったと思いきや茶色い一番外側の皮が入ると白い紙にならないため剥いて黄色い部分の皮だけを残す。蒸して吸った水分があると皮が腐ってしまうため、皮は天日乾燥させて保存する。これも手作業。
住所: 茨城県水戸市緑町2-1-15
URL: http://www.rekishikan.museum.ibk.ed.jp/

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年9月28日放送 16:30 - 17:25 テレビ朝日
日曜マイチョイス北関東再発見の旅in茨城
茨城県立歴史館は地元の文化や歴史を展示しており、壮大なプロジェクションマッピングを行うこともある。旧水海道小学校本館は1881年に建築され、1973年に水戸に移築された。宮大工として水海道小学校を設計・建築した羽田甚蔵は羽田美智子の高祖父。多くの弟子を抱えた羽田甚蔵の腕前は超一流。西洋建築の知識ゼロの状態で見よう見マネで洋風に建築。そのため、雲形の彫刻や松の[…続きを読む]

2025年8月3日放送 12:54 - 15:05 テレビ東京
開運!なんでも鑑定団(開運!なんでも鑑定団)
佐橋さんのお宝は徳川慶喜の書。1867年、徳川幕府は約260年にわたって掌握してきた政権を朝廷に返上。これにより慶喜は31歳の若さにして政治の表舞台から去り、静岡に移住。外部との接触を避け、家族や使用人とともに表向きはひっそりと暮らした。生来新しい物好きで、その後の人生は趣味に没頭。とりわけ熱中したのが写真であった。油絵にも情熱を注ぎ、中島鍬次郎を静岡に呼び[…続きを読む]

2025年5月31日放送 18:45 - 18:53 NHK総合
ニュース645(ニュース)
子どもたちに歴史を身近に感じてもらおうと戦国武将のかっちゅうのレプリカを着る体験イベントが水戸市の茨城県立歴史館で開かれた。

2025年5月16日放送 19:57 - 20:42 NHK総合
チコちゃんに叱られる!チコちゃんに叱られる!
「水戸黄門の『黄門』は『中納言』という官職」について、静岡市歴史博物館 館長の大石学さんが解説。水戸黄門の正式名は徳川光圀。徳川家康の孫にあたる人物。1690年に水戸藩の藩主を引退し、隠居する際に朝廷から中納言の官職を授かった。中納言という位は現在でいうと大臣。水戸権中納言というのが日本風の官職名。しかし、日本は昔から官職名を中国風に呼び替えることがあり、水[…続きを読む]

2024年12月3日放送 23:50 - 0:35 NHK総合
歴史探偵(歴史探偵)
8世紀、東北地方で狩猟を生業にしていた人々は蝦夷と呼ばれた。蝦夷のリーダーがアテルイで、朝廷と戦いを繰り広げた。古墳群からは鉄製の矢じりが見つかり、形状からして殺傷能力が高く、毒を塗って使っていたという。さらに馬術も巧みで、朝廷の歴史書には「蝦夷1人の強さは朝廷の兵士十人に相当する」と記されている。789年、朝廷は蝦夷を討伐するため、東北に軍を派遣した。アテ[…続きを読む]

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