寛一郎は19歳で俳優デビュー。俳優という仕事は小さい時から見ていたし、一番近い職業だった。父に俳優になると伝えると、返事は「そっか」の一言だけだったという。父・佐藤浩市が祖父・三國連太郎に俳優になることを伝えた時も返事は「そっか」だけだったと話した。父・佐藤浩市が1985年に徹子の部屋に出演した時の映像が流れた。寛一郎は父と比較されることに抵抗はあったという。父は出演した作品を見てくれている。どうだったかは聞いていないと話した。母は俳優にさせたかったといい、俳優になることを伝えた時は嬉しそうだったという。デビュー作の映画「菊とギロチン」では50回NGを出した。早朝から始まり、日が暮れるまで撮影をしたという。
