1945年6月20日未明にかけて行われた市民2000人の命が奪われた静岡空襲をめぐっては、静岡市葵区の賤機山で犠牲者を悼む日米合同慰霊祭が行われている。米B29の搭乗員も空中衝突のために23人が亡くなっている。半世紀以上にわたり慰霊祭を行ってきたのは医師の菅野寛也さんで、小学生の時に静岡空襲で被災したが、B29の事故現場を見ると米軍の兵士も犠牲者なのだという感情が浮かんだという。祖父からは敵兵を看護する医者になることを教えられたといい、過去の体験と教訓から弔いを続けている。その一方で日米合同慰霊祭をめぐっては菅野さんを含め高齢者には慰霊祭の行われる賤機山への登山が負担となっているのが事実であり、菅野さんは慰霊祭を行うために私財を投入してきたが金銭的な問題も継承の課題となっている。それでも、合同での慰霊祭には世界各地で合同での慰霊を行えれば戦争も起こらなくなるという菅野さんの信念があるという。