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「藍」 のテレビ露出情報

最初に紹介するのは徳島県鳴門市の第一番札所とされる霊山寺。ここをお遍路の最初の地にする人が多いという。お遍路で参拝する寺院を「札所」と呼ぶ。ちなみに88か所を一度に巡るのが順打ち、何度かに分けるのを区切り打ちという。霊山寺ではお遍路グッズを揃えることができるという。お遍路は空海ゆかりの寺を巡る。その際に持つ杖は行き倒れてしまった人の墓標になったのだという。ちなみに早い人でもお遍路には30日ほどかかるという。参拝では手水舎で手を洗い、鐘をつく。その後蝋燭とお線香、納め札を奉納する。第ニ番札所は極楽寺は安産祈願のお寺として知られているという。第三札所は金泉寺、ここの井戸に顔がはっきり写ると長生きできる。またこちらではフクロウの置物をもらえるのだという。お遍路では地域の住民が「お接待」として時に食事やお茶を振る舞うのだとか。多くの人は6番目の安楽寺を第一目標とし、宿にする人も多い。また安楽寺には弘法大師が温泉を発見し、今でも宿で使われているのだという。
十番札所と十一番札所の間では季節の花々を見ることができるが、これも地域住民の「お接待」の1つだという。途中通る吉野川は暴れ川として知られ、堤防ができるまでは氾濫することも多かった。しかしそれは同時に肥沃な土地を産み、この一帯は藍の産地となっている。藍染はジャパンブルーと呼ばれ、かつてはお遍路も藍染の服で巡るのが一般的だったのだという。十一番札所の藤井寺は藤の花が有名。そしてここからがお遍路の「最大の難所」だとされる。ここから十二番札所の焼山寺までは700mほどの山道を登らねばならない。山道の道中にはお遍路を行う人を励ます言葉が吊るされている。ちなみにお遍路が一般的になったのは戦国時代以降、江戸時代からだという。藤井寺から7時間ほど歩き十二番札所の焼山寺に到着。
四国中央部には東西200キロに渡って山地が続く。その中で人気の観光地となっているのが祖谷渓。ケーブルカーもあり人気の宿となっている。この地域は標高も1000m近い集落で、場所によっては傾斜角度も40°にもなるという。そのため昔から蕎麦が育てられてきた。郷土料理にもなっている。第二十三番札所の薬王寺を超えると、お遍路の道は高知県に入る。その距離は77キロになるという。県境の海陽町では轟神社秋季例大祭が11月に行われ、水の神に感謝する祭りで、農家や漁師さんが参加する。祭りでは神輿を滝へと入れていく。これは水の神様を滝に連れて行くことで感謝の気持ちを伝えるのだという。
間もなく高知県に入るというところで、1回目のお遍路だという男性と会う。男性は仕事を辞めて、次の仕事に就くまでの間にお遍路をしているという。男性は山道を時に間違いながら進むが、それもまた楽しいのだと話す。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年10月23日放送 5:50 - 9:00 日本テレビ
ZIP!おどろきフライト!Go!Go!おどろん!
徳島・藍住町の藍染め工房をおどろんが紹介。藍の花の泡を毎日撹拌し色や泡の状態をみて手でも確認するため職人さんの手にも色がつくがそれがよい液の明かしだなどと紹介。あしたは染めの工程をみせてもらう。

2024年9月28日放送 18:00 - 18:30 テレビ朝日
人生の楽園(人生の楽園)
祐次さんの藍染は灰汁発酵建て技法で行う。灰汁とお湯を入れた甕に染液のもとになる蒅を入れ撹拌する。手間がかかることから現在流通している藍染の中で伝統的な灰汁発酵建てによるものはわずかと言われている。だからこそ技を伝えたいと体験教室を開いている。体験教室を終えた2人は菰野町の「自然薯料理 茶茶」でとろろ御膳を味わった。美樹さんは新潟県出身で26歳の時に漫画家デビ[…続きを読む]

2024年7月4日放送 8:15 - 9:55 NHK総合
あさイチ愛でたいnippon
町の中心部から車で30分のところにあるのが、永野さんが管理するゲストハウス。永野さんは、ヨガの指導者で、10年以上、インドの寺院で修行した。日本各地でヨガ教室を開いていたが、7年前に移住し、去年、ゲストハウスを開いた。川の前で、ヨガをすることができる。食事は、永野さんの妻が作るインド料理。豆類を中心に使ったカレーなどの料理が楽しめる。隣山の集落にあるのは、庄[…続きを読む]

2024年7月3日放送 19:00 - 19:30 NHK総合
NHKニュース7(エンディング)
東京タワーの様子を伝えた。新一万円札の肖像である渋沢栄一にゆかりのある藍にちなみ、藍色に彩られている。

2024年6月22日放送 21:00 - 21:54 日本テレビ
1億3000万人のSHOWチャンネル大人の社会科見学
本日の先生は渋沢史料館顧問の井上さん。櫻井、羽鳥、吉村は渋沢栄一の生家を案内してもらった。中では渋沢栄一のアンドロイドから半生を聞ける。7歳から論語に親しみ、14歳で家業の藍の葉の買い付けを手伝う。渋沢は品質を向上させるため番付表を作り、農家のモチベーションをアップさせた。当時は通称「榮一郎」と呼ばれていた。

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