藤井厚二は明治21年に広島県福山市で11代続く造り酒屋の次男として生まれる。東京帝国大学で建築を学んだ藤井は大正2年に神戸の建築会社に入社した。朝日新聞大阪本社やオフィスビルの設計に携わるも、わずか6年足らずで退社。きっかけは、神戸の地に自ら初めて建てた家に満足できなかったこと。藤井は海をわたり、欧米諸国に視察。理想とした日本の住宅を追求したいと向かった。9か月に及ぶ欧米の視察で、豊かな暮らしぶりや最先端の建築設備を目にした藤井は帰国後に、天王山の麓にある大山崎に1万2千坪の土地を購入した。その場所に8年間に4件の自宅を設計し建築した。実験的な自宅に暮らしながら、気温、湿度、風向きなどの膨大な気象データを積み上げて日本人の感性にある快適な家を研究。その答えが5件目の聴竹居。この時藤井厚二は40歳だった。
