安倍晴明は名門出身ではないが、藤原氏など有力貴族が暮らしたような一等地に屋敷を構えていた。986年、后が死去した花山天皇に対して、藤原道兼は自分とともに出家をと勧めた。天皇は退位したが、道兼は出家することはなく、道長の姉が生んだ男児が一条天皇として即位した。安倍晴明は天体の異変から事件を察知していたといい、本来であれば天皇に報告するべきだが、藤原氏の陰謀に加担していた可能性がある。999年、火事で一条天皇の住まいが焼失した。朝廷は再建するも、暦注で縁起の悪い日が続き、引っ越しが遅滞した。安倍晴明は陰陽道の特殊な歩行法「反閇」を行い、良い、悪いを反転させたことで事態を打開した。本来、外出は慎むべき「大禍」の日を反転させ「吉日」とし、引っ越しを行った。