古くから漁業で盛んな石川・蛸島町。この漁港では20人ほどインドネシア人の若者が働いていて、過疎化が進む中20年ほど前から外国人の力を借りて漁業に取り組んでいる。若者たちは港近くで寮暮らしをしていたが能登半島地震で生活が一変した。地震発生直後、避難するがどこへ避難すればよいのか分からず、さらにパニックのため殆どが裸足で逃げ惑っていた。当時その場にいたロベルトさんは仲間の中には寮に戻ろうと話す人もがいたがアラームで津波と言っていたことから津波が来ると思って山へ避難した。避難する時に山の片隅に遭ったがハザードマップだったが何のための地図化は理解していなかった。また同僚なども被災して支援を受けられる状態ではなくさらに避難所では自分たちが住む場所の担当の避難所ではないなどのトラブルもあったという。