埼玉県行田市に住む被爆者の濱中紀子さんはノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会の事務局次長を務めている。濱中さんは長崎市の自宅で家族とともに被爆した。当時1歳7か月でその記憶はない。家族はみな無事だったが、被爆した時の状況について母親は口を閉ざし、小学生の頃に祖母から初めて話を聞いた。就職の為に埼玉県に引っ越し、22歳で結婚。子供も生まれたが、夫からは子供は1人でいいと言われたという。被爆者への差別や偏見、その苦しみを少しでも減らしたいと28歳の時から被爆者運動に参加してきた。これまで事務作業や署名活動などの裏方に徹し、積極的に自らの体験を語ることはなかった。濱中さんが帰国したその日、施設に入所していた夫が亡くなった。濱中さんはこれから自身の体験も加えて他の被爆者の体験も自ら語り継いでいくことにしている。現在濱中さんの元には公演の依頼が来ており、先月22日には埼玉県熊谷市で公演を行った。今後は被爆者の体験を紙芝居にして子どもたちに読み聞かせをする活動も行っていきたいとしている。