山の手空襲のうち5月25日の深夜に始まった空襲では広範囲が焼けて3000人以上が犠牲となった。当時14歳だった山形美智子さんは、南青山の自宅で夕食後に空襲警報が鳴ったため母や姉などと手を繋いで避難したそう。翌日自宅に戻ると、家は焼失し、周辺一帯が焼け野原となっていたという。これまで自らの経験をほとんど語ってこなかったが、80年前に感じたことを次世代に伝えなければ行けないと考えているとのこと。
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