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「西日本新聞」 のテレビ露出情報

所沢プロペ商店街で買い物代を払う代わりに家を見せてもらう企画を実施。出会ったのは西武鉄道・保線区長の日當としもりさん(57歳)。送別会の帰りでこれから2次会へ行くというので同行させてもらった。退職する宮村さんの送別会をした後、西武線で帰宅する日當さんの家までついて行った。妻・かおるさん(57歳)が迎えてくれた。1階は娘の部屋と物置代わりになっている部屋。物置部屋を見せてもらった。日當さん夫婦には3人の娘がおり、長女は39歳、二女は38歳、三女が18歳。2階はリビングともう1部屋。3階はロフト。築14年の持ち家。間取りは3LDKで価格は約3,700万円。寝室は無くリビングで寝るという。保線作業は夜中に行い、そのまま職場で仮眠するので家には帰ってこない。リビングの食器棚には西武ライオンズの選手のサインボールが並んでいた。キッチンへ行くと、日當さんが冷蔵庫を開けて見せてくれたが、かおるさんは「やだやだ」と叫んだ。冷凍庫には氷を作っている豆腐のパックが並んでいた。焼酎を酎ハイで割って晩酌するという。かおるさんは鉄道のレールを溶接する会社の事務員。線路のガタンゴトン音の秘密を教えてくれた。気温により鉄が伸縮するため、冬場だとレールの間に隙間ができ、音が大きくなるという。レールは入荷してきた時は25mの規格になっており、現場で繋げてロングレール化する。上石神井から田無の区間は継ぎ目がないという。かおるさんは以前は営業を担当しており、西武鉄道に行った時に夫と知り合った。2人ともバツイチ。長女・次女は妻の連れ子。三女は日當さん夫婦の子ども。日當さんが作業服を着て見せてくれた。西武ライオンズのファンだったので西武鉄道に入社したという。乗り心地の良い線路の作り方を教えてくれた。列車の重量(10両で約300トン)によりレールが沈むため、電車の揺れの原因になる。レールの下に砕石を補充し、水平に戻していく。マルチプルタイタンパー(通称マルタイ)を使って10~15分で100mの砕石をつき固める。最後は手作業でミリ単位の調整をする。砕石が音や衝撃を吸収して低減させる。雑草の繁殖を防ぐ効果もあるという。日當さんが支えてくれる妻への感謝を語った。プロペ商店街で日當さんの家について行ったら…「乗り心地に命を懸ける鉄道職員の目に見えない努力が垣間見られました。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年3月4日放送 20:54 - 21:54 テレビ東京
開運!なんでも鑑定団(開運!なんでも鑑定団)
福岡・飯塚市の讃岐陽さんは俳句が趣味だといい、10年くらい前から楽しみ始めたが、地理や植物など様々なものを組み合わせて作られるという。14年前に亡くなった母の骨董品収集の中の1つが依頼品だといい、母が様々な事業で赤字をつくった中でも手放さなかった一品という。依頼品は中国・宋の太史硯だといい、水盤の水の色が変わる様子も楽しめるという。
硯は中国で紀元前に発明[…続きを読む]

2025年1月29日放送 19:00 - 21:00 フジテレビ
世界の何だコレ!?ミステリー何だコレ!?ミステリー2時間SP
1957年1月29日、南極の昭和基地が開設した。南極観測隊に不測の事態が発生し15頭のカラフト犬が南極に置き去りにされてしまった。しかし犬たちは生きていた。生きていたのはタロとジロ。しかしこの物語には解明できない謎があった。
1956年11月、南極に日本初の南極観測隊が向かった。目的は気象や生態系の調査。大量の物資を運ぶため、雪上車とは別に犬ぞりも準備され[…続きを読む]

2024年12月30日放送 14:00 - 16:00 日本テレビ
1億3000万人のSHOWチャンネル大人の社会科見学
櫻井翔・吉村崇・羽鳥慎一・小峠英二が熊本県にあるTSMC日本工場(JASM)を見学。従業員は1700名以上。そのうち6割が日本人。TSMCが熊本県に進出した理由は半導体関連企業が集約されていたこと。半導体製品の製造には薬品を使うため洗浄に使う綺麗な水が大量に必要。阿蘇は福岡県を流れる筑後川をはじめ九州の主な河川の源流となっており、他の地域より綺麗な水が豊富に[…続きを読む]

2024年10月8日放送 21:00 - 21:54 日本テレビ
ザ!世界仰天ニュース衝撃の九死に一生5連発!
問題の答えは「背広を貸してください」。今泉さんは重ねた背広を頭から被って家に入り、3人の子どもを抱きかかえて救出。

2024年8月19日放送 0:55 - 1:25 日本テレビ
NNNドキュメント’24「学生たちの戦争 学徒出陣 ペンを銃にかえられて」学生たちの戦争 学徒出陣 ペンを銃にかえられて
九州大学の歴史を伝える展示室の一画に太平洋戦争中に徴兵された学生たちの写真や日記がある。1943年10月19日、九州大学でも出征する学生たちを祝う走行会が行われた。その後、筥崎宮へ必勝祈願した。さらに亀山上皇の銅像に向かい万歳三唱した。走行会から2ヶ月後、1943年12月に九州帝国大学から法文学部・農学部などの学生691人が出征した。全国から約10万人が出征[…続きを読む]

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