江戸幕府における権威の象徴である大判・小判。まばゆい輝きは人々の憧れだった。この2つの用途は異なる。大判は1588年、豊臣秀吉が作らせた天正大判に始まり、幕末まで計6種類が発行された。いずれも10両。流通目的ではなく、家臣への恩賞用や贈答用として用いられた。一方、小判は1601年発行の慶長小判に始まる。全国で流通することを目的とし作られた。幕末まで10種類が発行されており、一両小判だが、時代により大きさや重さ、金の含有量が異なる。天保の飢饉で幕府の支出が拡大し、モリソン号事件で海防問題に直面すると費用を賄うため、さらなる改鋳を迫られた。そこで生まれたのが天保五両判。江戸時代通じて唯一の5両貨幣で表の上下左右に五三桐などが刻印されている。わずか6年で鋳造停止となったもの。