三月、親元を離れ、一人暮らしを始めた。両親と一緒にファミリーホームの運営に関わるようになり、親と暮らせない子どものことを考えながら毎日を過ごしている。ゆりかごの当事者として全国各地で行う講演は、年間四十件以上。三月には、東京の病院で、親が育てられない赤ちゃんを預け入れるいのちのバスケットの運用が始まった。宮津航一さんは、子どもたちが幸せな環境に身を置いて暮らすことができるか、ひとつひとつクリアにしていってほしいなどと話した。宮津美光さんは、病気をしてから航一くんの能力をあてにするにようになった、バトンタッチしていくような形に自然となったなどと話した。航一さんは、講演で、ゆりかごがあったから救えた命があるということ、子どもには生い立ちを伝えてほしいということを丁寧に伝えていた。航一さんは、生い立ちを公表したときに、ひとつの役割が終わりになると思っていたが、そこから三年間、想像以上に当事者活動をさせてもらっている、発信し続けなければ、ゆりかごに対する理解も薄まってくるなどと話した。講演を聴いてくれた人からのメッセージで、「麦の穂の中を切り開くように先頭を歩く者はその穂先で体や目がちくちくする、しかしそうやって踏みしめられた跡に続いて歩く人は楽に進める、後に続く者のためにこれからも切り開いていってもらいたい」という言葉をもらい、航一さんはこれからの生き方を考えたという。ゆりかごに預けられてから二十一年。航一さんは、就職ではなく、いまの活動を続けることにした。航一さんは、話しやすく、接しやすい、だけど頼りになるような関係性を築ける子どもたちが増えるといい、自分が困っているときに頭に浮かぶような存在になりたいなどと話した。
住所: 東京都墨田区太平3-20-2
URL: http://www.san-ikukai.or.jp/sumida/hospital/
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