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「赤羽台団地」 のテレビ露出情報

タモリらは東京・赤羽を訪れた。赤羽駅の東側はせんべろの町だが、西側は居酒屋が見当たらない。少し歩くと静勝寺がある。静勝寺は江戸時代に稲付城跡に建てられた寺。この寺にゆかりがある人物が、室町時代に関東で活躍した武将で、徳川家康の江戸城の前身を築いたとされる太田道灌。稲付城は台地の突端にあり、関東をおさえるための重要な拠点だった。赤羽駅は線路を境に、西側が高く、東側が低くなっていることが分かった。
タモリらは東京・赤羽を訪れた。明治5年、新橋~横浜間で初めて鉄道が開業。その後、明治16年に上野~熊谷を結ぶ鉄道ができた。この2つの鉄道をつなげるために、明治18年に品川~赤羽を結ぶ鉄道ができた。赤羽で線路をつなげた理由は鉄橋を新たに設けなければならなくなるため。明治時代、赤羽の発展に欠かせないもう1本の線路が存在していた。それが軍需産業のための機関車の線路。主要な鉄道と郡の施設を繋ぐ重要な線路として使われていた。赤羽がある北区は23区最大の「軍都」と呼ばれる場所。赤羽で働く人が増え、町ににぎわいが生まれた。戦後、郡の施設の跡に出来たのが団地。今も約2800世帯が暮らしている。
タモリらは東京・赤羽を訪れた。赤羽駅の東口を代表する商店街が一番街商店街。前身は復興会商店街。赤羽駅の東側は戦時中に空襲で大きな被害を受けた。その後、ヤミ市ができた。焼け跡からの復興を願う地元住民の思いから生まれた町としてにぎわうように。高度成長期に店がどんどん増えていき、居酒屋の多いせんべろの町に移り変わっていったという。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年2月23日放送 7:30 - 10:25 日本テレビ
シューイチ今昔NEWSイッチ
団地の誕生とブームの到来について。終戦直後は420万戸も住宅不足。昭和30年、日本住宅公団発足。昭和31年に大阪・堺市にある金岡団地が誕生した。総戸数900戸の間取りはすべて2DK。同じく昭和31年に東京第1号となる牟礼団地(東京・三鷹市)、3年後にはマンモス団地の先駆けとされるひばりが丘団地(東京・西東京/東久留米市)と続々誕生。団地から生まれた新しい生活[…続きを読む]

2025年2月19日放送 21:00 - 21:54 テレビ東京
何を隠そう…ソレが!北区で2ヵ月!327人に聞き込み!日本初を生み出したパイオニア企業ベスト5
赤羽台団地は当時は高所得者しか住めないなど夢の住居と崇められた。当時は珍しい食寝分離やダイニングキッチン・水洗トイレなどを導入。現在は国が指定する有形文化財に登録されている。

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