端島があるのは長崎市。長崎港から約18km沖の海上に浮かんでいる。端島は約200年前の江戸時代後期に石炭が発見され、明治時代に本格的な開発が始まった。その後1974年まで日本のエネルギー産業として石炭採掘が行われていた。端島の海底付近には石炭層が多く分布しており、特に島の東側の海底に集中していて、炭坑の入口もこの辺りにある。端島炭坑の海底地下トンネルは最も深いところで約1100mまで掘られた。端島は炭坑の拡大とともに埋め立てを繰り返し、島の面積は当初の3倍となった。端島はかつてあった軍艦「土佐」に姿形が似ていることから「軍艦島」と呼ばれるようになった。端島炭坑では地下で石炭を掘り出す坑内員が1日3交代、24時間体制で温度40℃・湿度90%という過酷な環境で働いていた。端島の石炭採掘の最盛期だった昭和35年には人口が5000人以上になり、当時の東京23区の人口密度の約7倍に膨れ上がっていた。炭坑の仕事は危険であったため給料が高く、人々の暮らしぶりは豊かだった。
