能登半島地震から14日目、朝市通りでは安否不明者の捜索活動が続いていた。警察の許可のもと、立ち入り禁止区域に入っていったのが中道肇さん。食堂を営み、朝市で購入した魚なら捌いて刺身として提供していた。店は先の火事で焼失し、自宅は応急危険度判定で要注意とされていた。塩山浩之さんは朝市通りで目立つビルに漆器店と自宅があったが、火災で失われた。幼稚園の一角を間借りし、避難生活を送っているなか、蓄積した疲労でインフルエンザを罹患した。今も漆器店、自宅を失ったという現実感がないという。塩山さんは輪島塗に携わっていて、1つの漆器だけでも120を超える工程があるという。1つの工程が欠けても成立しないことから、地震により産業再開の目処は立っていない。
中道さんの周辺では輪島を離れる人が増え、再会を果たせるか暗澹たる気持ちだった。親子3代で海産物の露店を営んでいた南谷良枝さんは被災した工場、損壊した魚醤の樽を見せてくれた。震災前、輪島を盛り上げようと朝市の魅力を動画で発信していた南谷さんだったが、家族とともに輪島を一度、離れると決断した。中道さんは輪島に残ると決断し、食堂と並行して営んでいた塩作りの工場では電熱器が稼働した。ただ、地震で海底が隆起し、半数以上の船が出港できないという。生きているうちに輪島は復興できないかもしれないと不安を口にした。
田谷昴大さんは輪島塗の工房、自宅が全壊したため、家族で金沢に避難している。工房から取り出せた漆器のなかには傷がないものもあり、オンラインなどで販売したいという。さらにクラウドファンディングも立ち上げた。朝市通りに開く予定だったギャラリーは全焼したが、いつか再建したいという。地震から23日目、朝市通りの仲間たちが金沢で集まることになり、中道さんは再会を喜んだ。金沢の港では加工や販売を再び始めようとしていて、作業場を提供してくれる申し出もあった。南谷さんも姿もあり、「すぐにでも仕事を始めたい。おばちゃんたちも一緒にやろうと言ってくれとる」と明かした。目下、義援金を募るなどして朝市の再開を模索している。中道さんは「朝市の灯を消さないんだという気持ち。朝市通りと言うけど、実は人なんです。つなぐこと、これをやめたら終わり」などと語った。
中道さんの周辺では輪島を離れる人が増え、再会を果たせるか暗澹たる気持ちだった。親子3代で海産物の露店を営んでいた南谷良枝さんは被災した工場、損壊した魚醤の樽を見せてくれた。震災前、輪島を盛り上げようと朝市の魅力を動画で発信していた南谷さんだったが、家族とともに輪島を一度、離れると決断した。中道さんは輪島に残ると決断し、食堂と並行して営んでいた塩作りの工場では電熱器が稼働した。ただ、地震で海底が隆起し、半数以上の船が出港できないという。生きているうちに輪島は復興できないかもしれないと不安を口にした。
田谷昴大さんは輪島塗の工房、自宅が全壊したため、家族で金沢に避難している。工房から取り出せた漆器のなかには傷がないものもあり、オンラインなどで販売したいという。さらにクラウドファンディングも立ち上げた。朝市通りに開く予定だったギャラリーは全焼したが、いつか再建したいという。地震から23日目、朝市通りの仲間たちが金沢で集まることになり、中道さんは再会を喜んだ。金沢の港では加工や販売を再び始めようとしていて、作業場を提供してくれる申し出もあった。南谷さんも姿もあり、「すぐにでも仕事を始めたい。おばちゃんたちも一緒にやろうと言ってくれとる」と明かした。目下、義援金を募るなどして朝市の再開を模索している。中道さんは「朝市の灯を消さないんだという気持ち。朝市通りと言うけど、実は人なんです。つなぐこと、これをやめたら終わり」などと語った。