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「GHQ」 のテレビ露出情報

1941年10月、 中国との戦争が泥沼化し米国との関係も緊迫するなか、陸軍の東條英機を首班とする内閣が成立。太平洋戦争に敗戦すると、米国側の判断で閣僚らに逮捕命令。東條は自殺を図ったが、マッカーサーの命で治療。回復した東條は、天皇が罪に問われないことを使命としていた。
日本側の戦争犯罪者をさばく極東国際軍事裁判。裁判官・検察官は米英など11カ国が務めており、「勝者の裁き」との指摘も。世界に映像を発信するため、撮影には万全の体制が整えられた。被告人28人のうち15人が陸軍出身、3人が海軍出身。その他は歴代の閣僚など。元外相で日独伊三国同盟の締結などに関与した松岡洋右は得意の英語で無罪を主張。持病のため罪状認否の3日後に入院し、そのまま死亡。思想家で国家主義者の大川周明はパジャマ姿で入廷。奇行を繰り返すなどしたため裁判からは外された。
戦争指導者の裁判としてドイツで行われたニュルンベルク裁判。米英仏ソ4カ国によるこの裁判では、平和に対する罪など新たな国際法上の犯罪概念が加えられた。その責任を国家ではなく個人に求めるのは史上初。すでに死去したヒトラーに責任を押し付ける弁明が多かったなか、ヴィルヘルム・カイテル国防軍統合司令部長官は自らの非を認める発言。後に西ドイツの首相となるヴィリー・ブラントは記者として傍聴。12人には死刑宣告。
太平洋戦争での戦争犯罪者をさばく東京裁判。国民にとっては、軍や政府が隠してきた戦争の実態を初めて知る機会に。元満州国皇帝・愛新覚羅溥儀などの証言により、日本軍による一般市民への残虐行為や捕虜虐待も明らかに。1947年からは弁護側が反証。東条を弁護する清瀬一郎は「自衛戦争だった」など陳述。被告人同士で責任の所在を巡って対立することも。侵略を容認した自らの責任を重く受け止めていた広田弘毅元首相は裁判中、ほとんど沈黙。
東京裁判が始まって2年。東条英機の証言時には傍聴者が多数。先の戦争を「自衛戦争」と主張したほか、「戦争開始の決定は天皇の意思によるものだった」という趣旨の発言も。GHQなどは統治のため天皇不訴追の方針を固めていたが、改めて設けられた発言の場でも「陛下はしぶしぶご同意になったというのが事実でしょう」など発言。
ドイツでは戦争指導者をさばくニュルンベルク裁判が終了した後も、米国主導で戦争犯罪者をさばく裁判は続いていた。法律家や医師など民間人を含む185人が訴追。これにより戦争中の残虐行為にドイツ社会が関与していたことが明らかに。絞首刑25人、終身刑20人、有期刑97人となった。
極東国際軍事裁判の判決文朗読は、ニュルンベルク裁判を踏襲し政府ではなく個人の責任を問うものに。被告人ごとに判決に至るまでの詳細が伝えられた。判事11人のうち、広田弘毅の死刑に賛成したのは6人。判決を受けた直後、広田は息子や娘のの座る席のほうを見て頷く動作を見せた。東条英機は絞首刑。判決に対する人々の反応は様々だった。48年12月23日、絞首刑を受けた7人が処刑。訴追されなかった19人は釈放。終身禁固刑を受けた戦犯らも仮出所。1958年には減刑により全員が刑期満了に。
戦後、ドイツでは多くの戦犯らが釈放され公職に復帰。1966年には、戦時中にナチ党員だったクルト・ゲオルク・キージンガーが首相に。戦後の復興の中で過去の記憶は薄れていくなか、ニュルンベルク裁判を記者席から取材していたヴィリー・ブラントが首相に就任すると、国民に対して「歴史を振り返る心構えが必要」など訴えた。戦争犯罪は今も世界で続いており釈放された者からは「東京裁判の正体なんてこんなもの」などの発言が。裁判を庶民視点で戯曲に書き表した井上ひさしは「国民はこの裁判を無視していた」「国民が厳しく問うべきだった」などとしている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年4月12日放送 21:00 - 21:54 テレビ東京
出没!アド街ック天国二重橋前 BEST20
皇居外苑の南側にあるのが桜田門の一の門。幕末に井伊直弼が暗殺された桜田門外ノ変の現場。世界に誇る社交場を目指し開業した東京會舘。2019年に二重橋スクエアの中で再オープンした。創業当時からあったメインバーもその歴史を引き継ぎ、重厚でクラシックなムード。三島由紀夫が愛したのが、カクテルのトムコリンズと舌平目のフライが乗ったソールピラフ。東京會舘は戦後、GHQが[…続きを読む]

2025年4月10日放送 8:15 - 9:55 NHK総合
あさイチ愛でたいnippon
泊まれる登録有形文化財・葉山加地邸を取材。支配人は松橋直人さん。1928年に竣工。すべての部屋に意味があり、社交場として使われていた部屋ではビリヤード競技が行われた。建物は1945年からGHQに接収されて、GHQが出ていくときには気に入った台を持っていったため台の跡だけ残っているところもある。

2025年3月27日放送 19:00 - 21:54 テレビ朝日
池上彰のニュースそうだったのか!!池上彰の昭和100年 日本がわかる3時間SP
終戦で教育制度は大きく変化した。GHQ担当者の州をモデルに6・3・3制になった。他にもアメリカをモデルに男女共学やPTAなどの制度が生まれた。

2025年3月27日放送 5:00 - 6:00 NHK総合
NHKニュース おはよう日本NEWS WEB チェック
かつて奈良県の大和郡山市では、日本全国を舞台に活動した少女歌劇団があったという。しかし映像などは残っていないというが、この歌劇団に魅せられた大学教授が実際の公演を再現までを追った。京都文教大学の鵜飼正樹教授が25年前に京都の古本市でポーズを取る少女がうつる歌劇座のはがきのセットを見つけ、興味を抱き様々な資料を集めて研究をしている。大和郡山市立図書館で見つかっ[…続きを読む]

2025年3月21日放送 23:30 - 23:40 NHK総合
時論公論(時論公論)
日本で放送が始まって100年の節目を迎える。今回は放送が自主自立を得るまでの歴史を振り返り、教訓を紐解くという。そこで清水聡は「初期の放送は」「厳しくなる指導や監督」「新たな時代へ」「先人の意志」という内容で解説し、最後に「研鑽を重ねて国民の信頼を得られるように常に努力し前進するということがこれからも必要だと思う。」と見解を語った。

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