沖縄はこれまで多くの苦境に立たされてきた。太平洋戦争末期の1945年、沖縄に米軍が上陸し、住民を巻き込んだ地上戦が行われた。6月23日には沖縄の日本陸軍司令官が自決し、沖縄において組織的な戦闘が終結した日とされ、のちに「慰霊の日」に制定された。1952年、サンフランシスコ平和条約の発効により日本は国際社会に復帰するも、沖縄はアメリカの統治下のままで、政治や報道なども常にアメリカに監視される状態が続いた。1958年にジョン・カビラさんが誕生。1972年5月15日、沖縄が日本に返還されたが、米軍基地は沖縄に残されている。ジョン・カビラは「1958年に初めて47の代表が戦った甲子園に首里高校も参戦した。敗退した時に甲子園の土を持ち帰ってきたが、那覇港で検疫上、土は持って帰れず、船の上から土を捨てなくてはならなかった。ずっと語り継がれ、県民の心に刻まれている大きなエポックメイキングなことだった」などとコメントした。