阪神淡路大震災で母親を亡くし児童養護施設で育った鈴木佑一さんは阪神淡路大震災の追悼行事で遺族代表を引き受けた。阪神淡路大震災は1995年1月17日に発生し6434人が死亡した。鈴木佑一さんは当時酒を飲んで暴れる父親から逃れるため、神戸母子寮で母と兄との3人で暮らしていた。昭和初期に建てられた木造2階建ての神戸母子寮は全壊し、母親2人・子ども2人・職員1人が死亡した中で1階の部屋で寝ていた当時5歳の鈴木佑一さんと兄は無事であったが母は冷蔵庫の下敷きになり死亡した。父は兄だけを引き取り鈴木佑一さんは児童養護施設に預けられ20歳になるまで過ごした。鈴木佑一さんは現在神戸で服と雑貨の輸入販売業を営み、今も養護施設に足を運んでいる。鈴木佑一さんは母の形見と手紙を届けた元職員の岡本由美さんに会い、母の兄弟等の親戚とのつながりを取り戻したという。