元死刑囚の袴田巌さん。90歳になり体調が優れないという。60年前の6月30日に静岡県味噌会社の専務一家4人が殺害された。逮捕されたのは従業員の巌さんだった。無実の叫びは届かず、1968年に死刑判決に。1980年に死刑が確定し、死刑囚になった。無罪になったのは事件から58年経過した後で、巌さんは長期間の拘束で、今も精神を病んでいるという。3歳上の姉と静かに暮らしているがこんなにも時間がかかったのは再審制度に不備があるからと言われている。
袴田事件は、国を動かし、法務省が再審制度の改正案を作成。自民党に説明したが、抗告は再審決定に検察が不服を申し立てること。袴田事件は2014年に再審が決定したが、検察が抗告したために長期化。再審公判が始まったのは2023年だった。稲田議員が議論に対し異議を唱えている中で、退室を促した自民党法務部会長の藤原崇氏は三審制を非常に重要視していたが、その中で攻撃と防御を尽くすことが筋だとした。3回の裁判を経た確定判決を、一回の決定で覆すことに法務省は難色を示した。稲田の乱から数日後、歩み寄らない法務省への怒りが議員の間で爆発した。法務省に対し怒鳴ったことは過去にもあったという井出庸生衆院議員。法務省は法案の修正を余儀なくされた。検察の抗告は原則禁止にすることで決着した。再審制度が初めて見直されたが、ここには落とし穴があった。
袴田事件は、国を動かし、法務省が再審制度の改正案を作成。自民党に説明したが、抗告は再審決定に検察が不服を申し立てること。袴田事件は2014年に再審が決定したが、検察が抗告したために長期化。再審公判が始まったのは2023年だった。稲田議員が議論に対し異議を唱えている中で、退室を促した自民党法務部会長の藤原崇氏は三審制を非常に重要視していたが、その中で攻撃と防御を尽くすことが筋だとした。3回の裁判を経た確定判決を、一回の決定で覆すことに法務省は難色を示した。稲田の乱から数日後、歩み寄らない法務省への怒りが議員の間で爆発した。法務省に対し怒鳴ったことは過去にもあったという井出庸生衆院議員。法務省は法案の修正を余儀なくされた。検察の抗告は原則禁止にすることで決着した。再審制度が初めて見直されたが、ここには落とし穴があった。
