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「長崎原爆の日」 のテレビ露出情報

80年前の今日、原爆を積んだ機体は北九州小倉に向かった。しかし視界が悪く長崎へとむかった。飛行をつづけ雲の切れ目があった場所が長崎浦上地区だった。浦上天主堂を象徴にカトリック信者が多く暮らす場所。当時新婦だった片岡さんは敵機がとんできたとき、急いで自宅に戻り白い光を目の当たりにした。11時2分、原爆が炸裂した瞬間だった。片岡さんは意識を失い、気づくと3メートルほどとばされて、さらに3メートル先に兄が立っていた。その様子は路傍に立っている石の地蔵みたいだったと話す。兄はその夜亡くなった。片岡さんは一瞬のうちだから、原爆は怖くない、あたりは深い静けさだったと話す。原爆の様子を絵で語るようになった築重地信さんは、原爆がカメラのストロボのようだと話す。その後は荼毘にふされるのを待つ人々の姿だった。
築地さんの絵には浦上天主堂の姿が多く描かれていた。80年前の浦上の人口は1万5000人。殆どがカトリック信者だった。カトリック信者の片岡津代さんは初めて神への不信を抱いた。親族を失い、自身にも顔に想いやけどを負った。被爆から3ヶ月半、浦上天主堂合同慰霊祭では医師である永井隆博士は、自身の病である白血病と闘いながら執筆活動をしていた。慰霊祭で永井博士は、原爆を神の摂理だと説いた。永井の孫、永井徳三郎さんは永井さんの真意を、みんなをどのように勇気づけられるか、同じキリスト信者としてこれは神の思し召しで、良いことも悪いことも受け止めようと話したのではと述べた。
長崎の鐘はベストセラーとなり神の摂理の考え方が広まった。永井は長崎市の名誉市民の称号や総理大臣表彰を受けるなど政治的にも引き上げられ浦上の聖者として神格化されていった。後に浦上燔祭説と名付け批判した高橋眞司さん。詩人の山田かんも鋭い批判を展開している。山田の次男・貴己さんは「初めて大人が“誰が始めたんだ?”という慟哭を父は非常に冷静に見ていた」などと振り返る。被爆の苦しみを抱え続けた片岡さんの苦しみを開放したのは36年後のローマ法王の言葉だった。片岡さんの苦悩の向き合ってきた高見三明名誉大司教は心中を吐露する。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月11日放送 10:25 - 13:00 テレビ朝日
大下容子ワイド!スクランブル池上彰&増田ユリヤ徹底解説
80年前長崎の街で炸裂し、これまでに20万人以上の命を奪った原爆。おととい爆心地には追悼の祈りを捧げた。戦後80年が経った今、戦争の記憶を継承する重要性が高まっている。そうした被爆者の声を伝える活動を行っていた人物がいた。伊藤明彦さん。1971年から約8年で1000人以上の被爆者に取材したジャーナリスト。被爆者の証言から音声作品を制作し全国の学校や図書館に寄[…続きを読む]

2025年8月11日放送 5:50 - 9:00 日本テレビ
ZIP!NEWS
原爆投下から80回目の8月9日を迎えた被爆地・長崎。浦上天主堂では早朝から被爆者や市民が追悼の祈りを捧げた。今年の平和祈念式典には94の国と地域の代表など約4000人が参列。長崎市の鈴木市長は平和宣言で「対立と分断の悪循環で各地で紛争が激化している」と指摘した上で「長崎を最後の被爆地とするためには核兵器廃絶を実現する具体的な道筋を示すことが不可欠」と訴えた。[…続きを読む]

2025年8月11日放送 4:55 - 5:25 フジテレビ
めざましテレビ全部見せNEWS
おととい原爆の日を迎えた長崎市で平和祈念式典が行われ、94の国と地域の代表など約2650人が参列した。鈴木長崎市町は「平和宣言」で、即時停戦と核兵器廃絶を全世界に呼びかけた。「平和への誓い」は最高齢93歳の被爆者が行った。被爆者の平均年齢は86.13歳。

2025年8月10日放送 6:15 - 6:30 日本テレビ
NNNニュース・サンデー(ニュース)
長崎が80回目の「原爆の日」を迎えた。浦上天主堂では早朝から被爆者、市民が追悼の祈りを捧げた。式典にはロシア、ベラルーシ、イスラエルを含む94の国・地域の代表など約4000人が参列した。午前11時2分には黙とうが捧げられ鈴木長崎市長が平和宣言。石破総理は唯一の戦争被爆国として非核三原則を堅持し核軍縮に向けて国際社会をリードしていく考えを示した。長崎の原爆死没[…続きを読む]

2025年8月9日放送 19:00 - 19:30 NHK総合
NHKニュース7(エンディング)
きょうは長崎原爆の日。被爆者が語った当時の状況や、その後も続く恐怖、体験した人だからこその言葉だった。当事者の声を聞ける時代。NHKプラスでも見られる。

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