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「関東大震災」 のテレビ露出情報

まずやってきたのはみなとみらいから2キロほど離れた山下公園。この辺りは横浜村と呼ばれ東海道から離れた小さな漁村だったそう。そんな横浜村に大きな変化が訪れたのは幕末の黒船来航。1858年、神奈川沖で日米修好通商条約が締結され翌年、横浜港が開港された。以来、異国文化の玄関口として国際色豊かな街に発展を遂げた横浜。そんな事情もあって横浜は「日本初」の宝庫。山下公園の目の前に立つホテルニューグランドは関東大震災でがれきの街となった横浜の復興の象徴として建設された。著名な作家や俳優たちがひいきにしていたホテルで、チャールズ・チャップリンやベーブ・ルースなどの各国の著名人をもてなしてきた。その本館1階にあるカフェレストラン「コーヒーハウス ザ・カフェ」で発祥グルメがいただける。時間帯によるがカフェだけの利用もできるから商談にもおすすめ。提供している発祥グルメは3品。「シーフードドリア」は体調を崩した外国人客のために即興で考えたメニュー。初代総料理長のサリー・ワイルさんが考案したシーフードドリアは今でも当時のものをできるだけ再現したレシピで作られている。
ナポリタンはケチャップのイメージだが、もともとのレシピでは使っていない。トマトの水煮やペーストを使いトマト本来の味わいを生かしたソースを考案したんだそう。「プリン ア ラモード」もホテルニューグランドが発祥。アメリカ人将校の夫人たちを喜ばせたいと当時のパティシエが考案したメニューだそう。発祥グルメはその土地でビジネスをするうえで役に立つポイントがあるそう。横浜に本社がある企業との会話の前提条件になっている。押さえておいたほうがいい横浜発祥グルメは他にも。明治28年創業「荒井屋」でいただけるのが牛鍋。明治時代に一気に広まった肉食文化。甘辛い割下で野菜と一緒に鍋で煮上げるのが牛鍋の特徴。牛鍋は文明開化の象徴の味ともいわれ、この横浜を起点に全国に次々とオープンしていった。更に横浜中華街にも発祥グルメが。中華街にあるお店なら大抵注文できるメニューがサンマーメン。そもそも調理人たちのまかない料理が原型という説があるよう。しょうゆベースのラーメンの上に肉と野菜を炒めとろみをつけたあんをのせたもの。初めて登場したのは戦後まもなくといわれ中華街で人気のメニューとなり、今では横浜を代表するご当地グルメになった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年4月20日放送 0:10 - 1:22 NHK総合
放送100年×元気100倍(朝ドラ名場面スペシャル)
朝ドラで描かれた日本メディア史を振り返る。関東大震災の直後にラジオ放送が始まるなど、振り返った。関根さんはカラーテレビになった時は嬉しかったなどと言った。いちばん星というドラマではラジオで歌を披露したワンシーンが描かれている。カムカムエヴリバディはラジオの英語放送をモチーフに三代のヒロインを描いた作品である。続いて花子とアンを紹介した。またブギウギでは戦時下[…続きを読む]

2025年4月19日放送 15:00 - 16:00 TBS
土曜☆ブレイク今さらシロー 岡田准一ロバート秋山が学び直し!
東京タワーの設計者・内藤多仲さんは「耐震設計の父」と呼ばれ、日本で初めて耐震壁を生み出した人物。風の影響を受けるため壁を作れない塔の設計では、三角形で組んだ四角形を耐震壁の代わりとしたという。こうした多仲さんを始め22万人の職人が協力した結果、1年3か月という短期間で東京タワーは完成したという。

2025年4月13日放送 10:05 - 10:50 NHK総合
明日をまもるナビ(明日をまもるナビ)
1925年3月からラジオ放送が開始され、2年前に発生した関東大震災の経験からラジオ放送を求める声が高まったと言われている。1934年9月に発生した室戸台風を振り返り、日本大学・中森教授は「放送は開始当初から災害と向き合ってきた」と話す。1951年に民放ラジオが放送を開始。1953年にはテレビ放送が開始された。1954年9月に洞爺丸台風が発生し1400人以上の[…続きを読む]

2025年4月8日放送 19:00 - 21:54 テレビ朝日
世界アニマル&キッズ動画スペシャル(世界アニマル&キッズ動画スペシャル)
ハチの飼い主、上野英三郎は東京帝国大学農学部の教授で、農業土木を近代化に導いた第一人者。田んぼの区画整理を行い用水路を普及させ、米の生産を安定化した。上野教授は西洋犬を飼う愛犬家として知られていた。上野教授には秋田犬を立派な成犬に育てたいという思いがあった。関東大震災の翌年、教え子から生後2カ月の秋田犬を列車で送ってもらったが、子犬は衰弱しきっていた。当時、[…続きを読む]

2025年4月6日放送 11:45 - 12:45 日本テレビ
スクール革命!クイズ アニバーサリー
続いては「100周年 雪印メグミルク」について。1925年に前身である「有限責任 北海道製酪販売組合」が設立。その2年目に起きた関東大震災で物資不足が深刻化し、安価な乳製品が海外から日本へと来た。仕事を失うピンチに陥った北海道の酪農家たちが集まり、牛乳やヨーグルト・チーズなど誰もが一度は口にしたことのある看板商品の礎を築いた。その歩みを振り返ってみると、19[…続きを読む]

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