山口県のポツンと一軒家に住む阿波家を訪問。建物は築135年で建材は松で瓦は石州瓦で豪雪地帯でも雪が全部滑るという。鯱鉾は地域特有だという。先程スタッフたちが入ったのは勝手口で入り口からは日本庭園、表玄関につながる。表玄関は赤色で弁柄で格式の区別と虫除けだという。縁側は昔は障子と雨戸だったが亡父が改修したという。日本庭園は庭師に2年に1回、依頼しているという。また、日本庭園は造って何回か変えているという。照明器具もあり夜にライトアップすると綺麗であると話した。
家には虎の衝立、妹が使っていたピアノで母もたまに弾いているという。床の間には泥棒用の六尺棒がある。家からは日本庭園が見え家の皆好きだという。また母も人が来るのが好きなので演奏会を開催していて、過去には50人招待されたという。そして話を色々聞いたあと母を迎えにデイサービス施設へ向かい靖子さんが家へとやってきた。毎日デイサービスの送迎をし、これから普通に家で過ごすという。そして妻・ひろみさんの講座が終了し義母の靖子さんも受講者を見送った。
行雄さんは7年前に他界し、それから長男が実家に泊まって母の世話を行っている。妻も仕事をしながら実家から通っている。秀範さんとひろみさんは共に中学校元教員で中学校の代表が集まる会議で初めて出会い、職場結婚。その時靖子さんが校長先生だったという。当時は恐れられる存在だったが今は癒し系であるという。結婚26年目で子どもは三兄弟で長男は長崎で仕事をし、次男は糸島で大学院生、三男は下関の大学で通っているという。2人とも教員を辞めた理由が三男が1歳の時に心臓病を発症し3歳の時に大手術をし、成功したが色々なケアが必要で教職を続ける事より三男の命を守る事を選んだという。子供と居たいと秀範さんも塾なら時間は拘束されないので学習塾に転職した。そんな三男は現在元気で過ごしているという。また、カウンセラーになるために資格を取ったのではなくて闘病児の子供達の家族、母親を支える機関が無く、自分たちがたくさんの人に支えてもらって、じゃあ私に何が出来るだろうと始めたという。
			
家には虎の衝立、妹が使っていたピアノで母もたまに弾いているという。床の間には泥棒用の六尺棒がある。家からは日本庭園が見え家の皆好きだという。また母も人が来るのが好きなので演奏会を開催していて、過去には50人招待されたという。そして話を色々聞いたあと母を迎えにデイサービス施設へ向かい靖子さんが家へとやってきた。毎日デイサービスの送迎をし、これから普通に家で過ごすという。そして妻・ひろみさんの講座が終了し義母の靖子さんも受講者を見送った。
行雄さんは7年前に他界し、それから長男が実家に泊まって母の世話を行っている。妻も仕事をしながら実家から通っている。秀範さんとひろみさんは共に中学校元教員で中学校の代表が集まる会議で初めて出会い、職場結婚。その時靖子さんが校長先生だったという。当時は恐れられる存在だったが今は癒し系であるという。結婚26年目で子どもは三兄弟で長男は長崎で仕事をし、次男は糸島で大学院生、三男は下関の大学で通っているという。2人とも教員を辞めた理由が三男が1歳の時に心臓病を発症し3歳の時に大手術をし、成功したが色々なケアが必要で教職を続ける事より三男の命を守る事を選んだという。子供と居たいと秀範さんも塾なら時間は拘束されないので学習塾に転職した。そんな三男は現在元気で過ごしているという。また、カウンセラーになるために資格を取ったのではなくて闘病児の子供達の家族、母親を支える機関が無く、自分たちがたくさんの人に支えてもらって、じゃあ私に何が出来るだろうと始めたという。
