農業神の結婚を祝う阿蘇神社の火振り神事で、祭りに来ている方に屋台での飲食代を支払うかわりに家を見せてもらう取材を行った。そんな中、燃えカスを見ていた中島昌彦さんが家を見せてくれることになった。父と祖母と3人で暮らしていた中島さんは、結婚して東京に暮らしていたが、熊本地震の時に自分だけ地元に戻ってきたと話す。中島さんは東京ではフリーランスのディレクターを10年ほどしていたが、今は動画をつくっているという。
家についた中島さんは、ニワトリがいる納屋を見せてくれた。家には祖母と父が出迎えてくれて、母は早くに亡くなったと中島さんは話す。スタッフは中島さんの祖母や父が振る舞ってくれたカレーライスを食べながら、祖母が戦後初めて阿蘇神社で結婚式を挙げたと聞いた。その後、中島さんは熊本地震の後に倉庫をぶち抜いた部屋で、行政向けのPRや熊本県のPR動画などをつくっていた。現在は阿蘇神社の許可をとって動画を撮っていた。その動画では、阿蘇神社が復旧していく様子がおさめられていた。
阿蘇神社の復旧の様子を中島さんは撮りためていた。一般の人は見ることのできないこの復旧の様子のその映像を見た人がお賽銭を入れて復旧が早まるロジックだと中島さんは話す。奥さんとの結婚式も阿蘇神社であげるなど、中島さんは人生の節目でかかわってきたという。そのため、自分の動画で気持ちを繋げたいと思ったと中島さんは話す。これから神社の復旧を追うのと収入の安定を目指したいと話す。
取材から4年7ヵ月後、再び中島さんのご自宅を訪ねると父が出迎えてくれた。
家についた中島さんは、ニワトリがいる納屋を見せてくれた。家には祖母と父が出迎えてくれて、母は早くに亡くなったと中島さんは話す。スタッフは中島さんの祖母や父が振る舞ってくれたカレーライスを食べながら、祖母が戦後初めて阿蘇神社で結婚式を挙げたと聞いた。その後、中島さんは熊本地震の後に倉庫をぶち抜いた部屋で、行政向けのPRや熊本県のPR動画などをつくっていた。現在は阿蘇神社の許可をとって動画を撮っていた。その動画では、阿蘇神社が復旧していく様子がおさめられていた。
阿蘇神社の復旧の様子を中島さんは撮りためていた。一般の人は見ることのできないこの復旧の様子のその映像を見た人がお賽銭を入れて復旧が早まるロジックだと中島さんは話す。奥さんとの結婚式も阿蘇神社であげるなど、中島さんは人生の節目でかかわってきたという。そのため、自分の動画で気持ちを繋げたいと思ったと中島さんは話す。これから神社の復旧を追うのと収入の安定を目指したいと話す。
取材から4年7ヵ月後、再び中島さんのご自宅を訪ねると父が出迎えてくれた。