滝川さんはラッコを見に岬へ入った。岬からは2頭のラッコが見えた。寝ている時間のためあまり動きがないという。餌をとる時間になったら潜ったり貝を割ったりするとのこと。片岡さんは近隣に住み、霧多布周辺の生き物を調査・記録し保護活動を続けている。2017年に3頭のラッコを撮影した。メスの1頭はAと呼ばれこれまで7頭生んでおり、4番目の子・A4が今年、赤ちゃんを生んだ。
滝川さんはラッコを見に岬へ。岬からは生後1カ月半の赤ちゃんをつれた親子が見られた。岬にはオオワシも見られた。ラッコの赤ちゃんにとっては脅威となる。片岡さんは赤ちゃんの生存率は低く、ここでも30数%しか生き残らないと話した。2024年11月16日には、AとA4、A4の子・A4-1の3世代がそろってくつろいでいる様子が撮影された。片岡さんは、お母さんが病気で子どもを離した可哀想な例もあったと話した。霧多布岬周辺では16頭のラッコが確認されている。
霧多布湿原を案内してもらった。森・湿原・海が隣り合う環境がラッコを呼んでいるという。森ではたぬきの溜めフンが見られた。たぬきは仲間で共同のトイレを使う習性があり、食べられるものの情報や体調を把握する。またキツツキの作った穴が見られた。モモンガやリスも利用し、違う種でも繋がっているという。
霧多布湿原を案内してもらった。森と湿原の境目には「やちぼうず」が見られた。進んで行くと滝川さんが地面に足を取られた。泥炭という植物が分解されずに蓄積した場所だった。厚岸ウイスキーは香り付けに泥炭を使用している。大正時代、霧多布湿原の泥炭は天然記念物に指定された。湿原を進んだ。ぬかるみの水には泥炭から滲み出たミネラルが含まれており、これが海を育て、ラッコを支えている。
霧多布湿原を案内してもらった。泥炭のなかにありフルボ酸に、土に含まれる鉄分が合わさると、水にとける「フルボ酸鉄」が生まれる。水に溶けた鉄分は海に流れ、コンブ・海藻の栄養分となる。海藻はラッコが流されないよう体に巻きつけたりする。またラッコの餌となるウニは昆布などを食べている。湿原を維持することがラッコの生息地を守ることに重要となる。滝川さんは湿原から流れる琵琶瀬川を下り、海へ向かった。
滝川さんはラッコを見に岬へ。岬からは生後1カ月半の赤ちゃんをつれた親子が見られた。岬にはオオワシも見られた。ラッコの赤ちゃんにとっては脅威となる。片岡さんは赤ちゃんの生存率は低く、ここでも30数%しか生き残らないと話した。2024年11月16日には、AとA4、A4の子・A4-1の3世代がそろってくつろいでいる様子が撮影された。片岡さんは、お母さんが病気で子どもを離した可哀想な例もあったと話した。霧多布岬周辺では16頭のラッコが確認されている。
霧多布湿原を案内してもらった。森・湿原・海が隣り合う環境がラッコを呼んでいるという。森ではたぬきの溜めフンが見られた。たぬきは仲間で共同のトイレを使う習性があり、食べられるものの情報や体調を把握する。またキツツキの作った穴が見られた。モモンガやリスも利用し、違う種でも繋がっているという。
霧多布湿原を案内してもらった。森と湿原の境目には「やちぼうず」が見られた。進んで行くと滝川さんが地面に足を取られた。泥炭という植物が分解されずに蓄積した場所だった。厚岸ウイスキーは香り付けに泥炭を使用している。大正時代、霧多布湿原の泥炭は天然記念物に指定された。湿原を進んだ。ぬかるみの水には泥炭から滲み出たミネラルが含まれており、これが海を育て、ラッコを支えている。
霧多布湿原を案内してもらった。泥炭のなかにありフルボ酸に、土に含まれる鉄分が合わさると、水にとける「フルボ酸鉄」が生まれる。水に溶けた鉄分は海に流れ、コンブ・海藻の栄養分となる。海藻はラッコが流されないよう体に巻きつけたりする。またラッコの餌となるウニは昆布などを食べている。湿原を維持することがラッコの生息地を守ることに重要となる。滝川さんは湿原から流れる琵琶瀬川を下り、海へ向かった。