津軽半島の小泊は本州と北海道を結ぶ船の置かれていた地だったが、明治24年に青森と東京・上野が鉄道で結ばれるとその地位も奪われることとなった。それから25年、小泊という地名が人の口にのぼらなくなる中、「遠野物語」の著者であり日本の民俗学の生みの親として知られる柳田国男が小泊から13の港を訪れて「津軽の旅」という紀行に記している。小泊から松前へ渡る船の航路が耐えてから久しいが、そうなればこの辺は用もない荒浜になってしまうが、驚くのは十三湊の変わりようだと記されている。十三湖の入り口にある十三湊は日本海の海岸沿いに航行する船の重要な本拠地として知られ、船乗りを相手にする遊女はいつの時代も300人を下ったことがなかったとされ、古文書には湯水のように黄金を使い一文無しになる船乗りも存在したとされる。日本海周辺に住む民族の船を扱う技術が発達しなかった大昔から自然に開けたる水陸出入りの処であったが、十三湖には船が来なくなってしまった。ここは津軽の地と安寿厨子王伝説でも知られている。無実の罪で九州に流された父を訪ねて旅に出た安寿と厨子王は丹後国の山椒大夫に売られ、死を決して弟を逃した安寿は哀れな死を遂げたが岩木山で神になったとの伝承もある。安寿と厨子王の物語は平安時代のこととされているが、丹後の船が入ると天気が荒れるとも言われるようになった。また、柳田國男は山椒大夫について、残酷な長者ではなくこの物語を語って歩いた集団だったのではないかとも推測している。
住所: 青森県青森市柳川1-1-1