5月19日には慰霊祭を取材し、ウクライナの演奏家が避難しているのを知った。友子さんは19歳で静岡の会社に就職した頃に短歌に心を奪われ、短歌の会が開かれていた中野に通い詰めた。そこでローカル新聞の記者をしていた啓権さんを紹介され、やがて結婚した。ある会社に集金に行ったとき「俺の悪口を書いてお前の会社は何だ」と社長に怒られたことがあった。夫に相談すると「筆1本で人を殺しも生かしもできる」と言われた。友子さんは人の悪口だけは書きたくないと考えたと話した。50年前に夫は独立して2人は週刊とうきょうを立ち上げ、友子さんも記者になった。1982年に夫が急死したが、友子さんは1人で新聞を続けていくことにした。