- 出演者
- 東貴博 清水ミチコ 所ジョージ 児嶋一哉(アンジャッシュ) 高木雄也(Hey!Say!JUMP) 冨田有紀 伊野尾慧(Hey!Say!JUMP) IKKO
オープニング映像。
小学3年生10歳の伊藤花音ちゃんはスラックラインの天才。スラックラインは幅5cmのライン上で技を競うスポーツ。1年生の時にインスタで見た動画で一目惚れしすぐに体験教室へ。通常1年かかるところなんと3か月で飛べるようになった。そして大会で好成績を収め、小学3年生でプロ契約した。夢は世界大会優勝。
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所ジョージらの挨拶。ゲストのIKKOと伊野尾慧を紹介した。
オープニング映像。
大阪府に住む11歳の植並夏鈴ちゃんは中国伝統芸能の変面師。姉ちゃんの影響で始めいまでは国内最年少のプロ変面師として活動中。
京都府に住む10歳の鈴木亮翔くんはモーグル選手。すでにスポンサー契約を結んでいる。
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- 京都府
奈良県に住む10歳のいぶきくんは、プロの大道芸人。数々のイベントに呼ばれている。
千葉県に住む11歳の伊藤斎生くんのスゴ技は鷹匠。鷹匠は猛禽類を訓練し鷹狩を行う人のこと。古くから伝統的な技術として受け継がれている。パートナーはハリスホークのベルくん。斎生くんの家族全員が鷹匠。斎生くんは今年行われた全国大会で2位。1位は3歳年上の尊くんだった。尊くんは大会で3連覇中。
都内に住む9歳の坂口遼くん。スゴ技には長さ60cmの紐を使うという。
都内に住む9歳の坂口遼くんのスゴ技はヨーヨー。オリジナル技9歳コンボを紹介。この技は10秒の間に8つの技をくりだすスゴ技。遼くんは、大人も混ざった関東大会で3位となった。SHU TAKADA選手をテレビで見てヨーヨーを始めた、SHU TAKADA選手は世界大会で6度優勝を果たしたレジェンドだった。坂口遼くんは200個以上のヨーヨーを持っている。いま新しい技10歳コンボを練習中。夢は世界チャンピオンになること。
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埼玉県に住んでいる12歳の鈴木千尋くんと11歳の茉華ちゃん。柔軟や体感、バランスを鍛えないといけない。乾燥がダメなんで化粧水が超重要だという。2人は東京・松濤にある「TRANSFORM」を訪れた。
埼玉県に住んでいる12歳の鈴木千尋くんと11歳の茉華ちゃん。2人のスゴ技はポールダンス。2人は数々の大会で好成績を残し全国のイベントに呼ばれるプロのポールダンサー。千尋くんは全国大会準優勝。茉華ちゃんは全国大会優勝。茉華ちゃんはたまたYouTubeでポールダンスを見つけ、千尋くんと一緒に始めたという。2人の将来の夢はシルク・ドゥ・ソレイユだった。
遠距離通学をしている18歳の長田鈴可さんに密着。午後4時40分中野駅前で、待ち合わせ。4時47分、中野駅から中央線快速に乗り新宿駅で下車。小田急線に乗り換え午後6時39分、新松田駅で下車。新松田駅のすぐ近くになる松田駅から御殿場線に乗り換えし足柄駅で下車。北区開始から2時間40分、最寄り駅に到着。定期代は1か月15030円。駅には母が車でお出迎え。午後7時40分、自宅に到着。片道3時間往復6時間の遠距離通学だった。鈴可さんは両親、祖父、姉の5人暮らし。姉の愛加さんも大学の頃、往復4時間かけて横浜まで通っていたという。
翌朝5時50分、鈴可さんは自宅を出発。自宅から約3時間かけ中野駅へ。駅から1分で学校に到着。鈴可さんが通っているのは「織田きもの専門学校」のきもの科。2年制で縫製、染色、着付けなどの基礎的な知識から応用までを学べる学校。七五三の時に着物を来て感動し、その時から将来は着物の仕事をしたいと思ったという。鈴可さんは着物のコーディネーターを目指している。伊野尾慧も意外と遠くまで通っていたという。
東京・錦糸町の8mmフィルム専門店「レトロエンタープライズ」に密着。この日店にやって来たのは田嵜明さん。1972年の映写機の修理を依頼。田嵜さんが20代の時に撮ったフィルムがあり、妻の父・母が映っているので田舎の兄弟に見せてあげたいという。スタッフがもし治ったらフィルムを観るところ取材したいとお願い。妻がOKを出せば取材OKだという。動作チェックすると映像を映し出すための専用の電球が切れていた事がわかった。電球を交換しモーターに油をさすと、治った。後日、田嵜さんの自宅にお邪魔すると37本のフィルムがあった。妻が務めていた会社の運動会の様子や銀座デートの様子などが映っていた。子どもの成長記録の映像の中に妻の両親が映る映像を発見。2人は妻の故郷・青森にある姉の家を訪れた。妻の姉3人が集まり、田嵜さんが作ったDVDを渡し鑑賞会が始まった。
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田嵜さんが作ったDVDを渡し鑑賞会が始まった。45年前に撮影した妻の両親の動く姿に義理姉たちはどんな反応をするのか?。
田嵜さんが作ったDVDを渡し鑑賞会が始まった。45年前に撮影した妻の両親の動く姿に義理姉たちはどんな反応をするのか?。妻の姉は「お義父さんがあんなに元気な時があったんだなと思って」と喜んでいた。
東京・錦糸町の8mmフィルム専門店「レトロエンタープライズ」に密着。レトロエンタープライズには週に5件ほど8mmフィルムのデータ化やDVD化の依頼が送られてくる。この日の依頼はフィルムからDVDのにしてほしい。その数、全部で30本。依頼者は樋口一郎さん。父親が8mmフィルムをたくさん持ってて、タンスを調べたら出てきた。若い頃の自分やおばあちゃんを見たいという。父・義近さんは家族思いで出掛けると常に8mmを回していたという。フィルムの殆どが状態が悪く試写することが出来なかった。10本ほどが修復できるかもしれないという。2週間後、30本中7本修復とDVD化に成功した。兄弟などが同席しドリームランドのフィルムから観始めた。
兄弟などが同席しドリームランドのフィルムから観始めた。奈良ドリームランドは東京ディズニーランド開園の22年前にオープン。最盛期には年間160万人の入場者数を誇ったと言われている。樋口一郎さんの小さい頃やおばあちゃんの姿が映っていた。2本めを見てみるとみさき公園とおじいちゃんの映像が出てきた。おじいちゃんは一郎さんが生まれる前に亡くなっていて動く姿を観るのはこれが初めてだった。その他、一郎さんが監督を務めた自主映画は収められたフィルムもあった。
東京・錦糸町の8mmフィルム専門店「レトロエンタープライズ」に密着。続いての依頼は8mmフィルム。50年前結婚式を兄が撮影してくれたが映写機がないので1回もみることもなく過ぎてしまった。デジタル化してもらい奥さんと観たいという手紙も入っていた。依頼者は中島善吾さんと妻の満代さん。2人は45年前に見合いで知り合い結婚。中島さんの仕事は海上自衛隊だった。これまで10回引っ越してきたが8mmフィルムは持ち続けていたという。金婚式の時に脅かすつもりだったが番組からのオファーが嬉しくて妻に言ってしまったという。3週間後、DVDが届いた。家族全員で鑑賞会が始まった。冒頭は妻が実家を出発するシーンだった。妻の実家は当時スーパーマーケットを経営していた。余興のオーナーでは加山雄三の「君といつまでも」を歌っていた。歌の途中に「幸せだな 僕は君といる時が一番幸せなんだ」という台詞があり、新郎がそのセリフ部分を言うのが昭和の結婚式の定番だった。セリフを言う前にフィルムが終わってしまった。