1980年代、いちごは急速に需要を伸ばした。バブル景気にも後押しされ出荷量は右肩上がり。全国各地で争うように新品種が開発された。中でも福岡県の「とよのか」は人気が高く、1991年には1kg単価が全国1位の1318円を記録した。「とよのか」の一大産地だった筑後市。いちご農家の深町は当時を振り返った。しかし1996年に栃木県が新品種「とちおとめ」を開発し市場に送り込んできた。市場の人気は「とちおとめ」に集中し「とよのか」のキロ単価は150円以上も下落した。農協の木下は福岡のいちご農家の苦境に心を痛め、県は農業試験場に5年位内に「とよのか」替わるいちごを開発するよう命じた。
いちご新品種プロジェクトの中心メンバーに抜擢されたのが三井寿一。三井はまず様々な特徴を持つ品種をかけ合わせ新たな実を作った。いちごはDNAが特殊で同じ実から採取した種を栽培しても特徴がまったく異なるいちごができる。そこでできたいちごを新品種の候補として片っ端からチェックした。理想のいちごに出会うのは10000分の1と言われる。三井は黙々と食べ続け体は悲鳴を上げた。プロジェクトが始まって3年目。その間も「とよのか」の価格は下がり続け、ピーク時から200円以上下落した。
1998年の秋、三井は2万1000から2つの候補を選び出した。しかし一般の農地で大量生産できなければ「とよのか」に替わる品種にはなれない。農家が試験栽培を行うことになり、任された2軒の農家のうち1つが深町だった。
いちご新品種プロジェクトの中心メンバーに抜擢されたのが三井寿一。三井はまず様々な特徴を持つ品種をかけ合わせ新たな実を作った。いちごはDNAが特殊で同じ実から採取した種を栽培しても特徴がまったく異なるいちごができる。そこでできたいちごを新品種の候補として片っ端からチェックした。理想のいちごに出会うのは10000分の1と言われる。三井は黙々と食べ続け体は悲鳴を上げた。プロジェクトが始まって3年目。その間も「とよのか」の価格は下がり続け、ピーク時から200円以上下落した。
1998年の秋、三井は2万1000から2つの候補を選び出した。しかし一般の農地で大量生産できなければ「とよのか」に替わる品種にはなれない。農家が試験栽培を行うことになり、任された2軒の農家のうち1つが深町だった。
