東京大空襲のあと4月~5月にかけて都心部などを標的に繰り返され数千人が死亡した山の手空襲。中でも5月25日深夜に始まった空襲は3000人余が犠牲になるなど最も被害が大きく、明治宮殿も焼け落ちた。このため昭和天皇は香淳皇后とともに戦後も皇居内の防空施設で暮らし続けた。現在使われている“新宮殿”が造営されたのは高度経済成長期になってから。この間、焼け跡の整理をきっかけに皇居に清掃作業などのボランティアが入るようになり、一般参賀が行われるようになった。専門家は戦後の皇室・皇居のあり方に影響を及ぼしたと指摘している。