信号機の周りについているものは「信号灯背面板」というもので、通称はゼブラ板と呼ばれていた。これは戦後復興期に設置されたもので電力供給が不安定なゆえ、光り方が弱かった信号を目立たせる目的があったそうである。例えば昼間は空の色と同化するなど見づらかったりしていたものの、ゼブラ板で信号機の視認性の補助をしていたという。時代が進み電力供給は安定し、信号機のレンズの大型化やLED化などによってゼブラ板の数は減少していった。現在は信号機の設置間隔が狭い場所で手前の信号を強調するためや、信号機の後ろにカラフルな店舗があって色が判別しにくい場所などに設置されているそうである。そして群馬県高崎市にはLEDの信号機にゼブラ板がついてあった。これは強い西日で逆光になるため、少しでも見やすくなるように設置したもののようである。また関太の故郷である群馬県吾妻郡中之条町六合地区の信号には信号機は1つだけとなっていた。それも子どもたちに横断歩道の渡り方を教えるため、交通量がほとんどない中設置されたものだという。