2025年7月5日放送 22:00 - 22:30 テレビ朝日

THE世代感
群馬特集!だけど、どこでも当てはまる街の風景違和感クイズ

出演者
後藤輝基(フットボールアワー) ホラン千秋 関太(タイムマシーン3号) 井森美幸 井上咲楽 宮下兼史鷹(宮下草薙) 
若者が昔の映像を見てわかったいつの間にか変化した事とは?
群馬SP

2024年の移住希望地ランキングで全国1位になるなど、今注目を集めている群馬県。今回は人口が最も多い高崎市と、北部の温泉地・水上町の1980年頃の映像から出題。

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水上町(群馬)赤城山高崎市(群馬)
この映像を見て若者が驚いた街の変化とは?

1983年・高崎と1981年・水上町(現・みなかみ町)の映像が流れて出演者で見ていった。まずは若者が驚いた「今との違い」4項目をノーヒントで答えることとなった。宮下兼史鷹の「新幹線ギャルって何?」が正解となり5点であった。

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上越新幹線中曽根康弘水上町(群馬)高崎モントレー高崎(群馬)
”新幹線ギャル”が違和感だらけ

ギャルっぽくないのに「ギャル」と呼ぶなど若者世代にとっては違和感だらけの新幹線ギャル。1982年の上越新幹線の開業時に案内係やPR係を務めたのが新幹線ギャルでそのほか国鉄にはリレーガール、さらにオレンジガールなる人たちがいてこういったギャルやガールがつく職業は昭和の時代沢山あった。かつて飛行機の客室乗務員はスチュワーデスの前に「エアガール」という名前で、路線バスの女性車掌は「バスガール」、他にも「エレベーターガール」などあったが現在はこういった名称で呼ばれることはほとんどなくなった。

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上越新幹線
1980年頃の群馬の映像 10代・20代が驚いた事は?

ここからは残り3項目を早押しで解答となり、難しさにより獲得点数は高くなり合計得点の高いチームが勝利となる。まずは井上咲楽が信号機のまわりに何かついていると答えて正解となり10点となった。

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高崎白衣大観音高崎(群馬)
信号機のまわりに板がついていた

信号機の周りについているものは「信号灯背面板」というもので、通称はゼブラ板と呼ばれていた。これは戦後復興期に設置されたもので電力供給が不安定なゆえ、光り方が弱かった信号を目立たせる目的があったそうである。例えば昼間は空の色と同化するなど見づらかったりしていたものの、ゼブラ板で信号機の視認性の補助をしていたという。時代が進み電力供給は安定し、信号機のレンズの大型化やLED化などによってゼブラ板の数は減少していった。現在は信号機の設置間隔が狭い場所で手前の信号を強調するためや、信号機の後ろにカラフルな店舗があって色が判別しにくい場所などに設置されているそうである。そして群馬県高崎市にはLEDの信号機にゼブラ板がついてあった。これは強い西日で逆光になるため、少しでも見やすくなるように設置したもののようである。また関太の故郷である群馬県吾妻郡中之条町六合地区の信号には信号機は1つだけとなっていた。それも子どもたちに横断歩道の渡り方を教えるため、交通量がほとんどない中設置されたものだという。

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六合地区(群馬)高崎市(群馬)
1980年頃の群馬の映像 10代・20代が驚いた事は?

次は宮下兼史鷹が列車の降りるところに段差があると答えて正解となり20点となった。

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水上町(群馬)高崎(群馬)
列車の乗降口に段差があった

映像では乗降口とホームにかなりの段差があったが、現在水上駅はもちろんほとんどの駅で段差がほぼなくなりバリアフリーの観点でも乗り降りしやすくなっている。これはホームの高さが変化していて、かつて駅によってその高さはバラバラだったというがその後様々な駅でホームのかさ上げが行われ、現在では線路から1.1mと高さが統一されてきている。

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中之条駅水上駅群馬県高崎駅
視聴者の皆さんにスペシャルヒント

残すは1つ、ここで視聴者の皆さんだけにスペシャルヒント。「?に?がない」について「多くの駅前にある”アレ”がない」とのこと。

1980年頃の群馬の映像 10代・20代が驚いた事は?

出演者が答えていったが全て不正解となり、もう一度映像を流していった。

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水上駅(群馬)高崎(群馬)
(THE世代感)
スタジオトーク

関太は村にある無人野菜販売所が唯一のドライブするーだと話した。

若者が昔の映像を見てわかったいつの間にか変化した事とは?
1980年頃の群馬の映像 10代・20代が驚いた事は?

井森美幸は高崎駅の上は歩道が出来ていて全く違うと答えて正解となり30点となった。

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高崎駅高崎(群馬)
駅前に広がる高架の歩道がなかった

1983年の映像は高崎駅の駅舎が新しく建て変わった頃で、高架はこの5年後に着工し1992年には完成となった。こういったデッキは高崎駅だけでなく、栃木県宇都宮駅・茨城県水戸駅・宮城県仙台駅でも見かけることができる。この高架の歩道は「ペデストリアンデッキ」という名前なのだが、日本初のペデストリアンデッキは千葉県柏駅東口のものである。今ではよく行われる都市の再開発がまだ始まった頃で、その一環として作られたという。その目的は駅から出てくる人が安全に周辺施設に行けるようにとのこと。さらにこのデッキは駅舎の建て替え時に造られることもあり、大宮駅のように旧駅舎を運営しつつ2階に新たな改札を作る場合改札と同一階にデッキがあるためスムーズに周辺施設に行けるという利点もある。さらに人が集まるスペースを確保できるというのもあり、現在は全国に約300カ所設置されるまでに広がっている。そして再開発が進む品川駅西口にも、日本最大級の壮大なデッキの建設計画が進んでいる。ちなみにこのデッキは東京駅・名古屋駅・札幌駅には長らく存在していなかったが、その共通点は地下街が発達していることだった。大規模な地下街があると駅から車道に出ることなく建物にアクセス可能だったため、ペデストリアンデッキは長きに渡り存在しなかったようである。平成・令和35-30昭和で平成・令和チームが勝利となった。

キーワード
ペデストリアンデッキ仙台駅千葉県名古屋駅品川駅埼玉県大宮駅宇都宮駅宮城県札幌駅東京駅柏駅栃木県水戸駅茨城県高崎駅
(エンディング)
次回予告

「THE世代感」の次回予告をした。

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