岡山・倉敷市の特産だった倉敷緞通。昭和58年の番組に映っていた蔵は現在居酒屋に改装されている。かつて日本筵業という会社がここで倉敷緞通を製造。しかし原材料費の高騰などで昭和61年に生産を中止した。倉敷の郊外にある早高地区には倉敷緞通の工房がある。瀧山雄一さんはこの道30年以上の倉敷緞通の職人。倉敷緞通が生まれたのは昭和の始め頃、民藝運動を提唱した柳宗悦が倉敷で作られていた敷物に目を留め名付けたのが始まり。デザインには人間国宝の染色家・芹沢けい介の柄を取り入れた。瀧山さんはかつて2人で行っていた作業を手元のボタンを押すことで横糸が自動で入るなど1人でもできるよう改良を重ねた。糸作りも1人で行っており、芯となる糸にレーヨンの糸を巻き付けていく。これは輪っかのように見えるためリング糸と呼ばれる。糸の巻取りには均等に巻き取れるようカラクリが使われている。裏面に使われるぬきと呼ばれる糸も制作。いぐさを1本ずつ装置に送り込み。紙テープを巻き付ける。この糸を使うことで特有のいぐさの香りや吸水性が生まれる。一度は途絶えた倉敷緞通だが、平成3年頃に復活させようという動きが起こり瀧山さんもプロジェクトに参加。以降30年以上に渡り手作業にこだわって制作に取り組んできた。