千葉県のポツンと一軒家を訪れ、主の顕寿さんに話を聞いた。顕寿さんは妙法生寺の住職でバツ1子なしだと話した。妙法生寺の建物の中に生活スペースがあり、89歳の母、愛犬と暮らしている。山の斜面には一面紫陽花が植えられている。亡き父の代の約7万本植樹し、2万本ほど残っている。1シーズン5000人ほど人が来るという。鎌倉時代に創建されたが参拝が不便なためこれまで3回潰れている。父の日受さんは福井県出身で12歳で仏門入り。勝浦にある龍蔵寺の住職となった。昭和6年に妙法生寺の復興を請願した。山頂に建つ八角堂で日蓮がお題目を唱えたという伝説があるため場所を変えることができないと話した。日受さんは昭和58年に他界し、顕寿さんが再建計画を引き継ぎ昭和60年に住職となった。顕寿さんは4人兄妹の長男で、弟は仏教学者として東大で教鞭ととっている。小学校は4キロ先で徒歩で通学していた。