レース開始から13時間、午前5時過ぎ。KONDO Racingは表彰台圏内をキープしていた。一睡もしていない近藤監督はモニターをチェックし続ける。暗闇のレースを乗り切ったKONDO RacingG、リタイアするチームも増えていく。レースは残り7時間、高畑エンジニアはタイヤの内圧をどうしようかと悩んでいた。高畑の出した答えは、内圧を下げること。走り出しのタイミングは狙い通り、判断は間違っていなかった。残り6時間、チームに笑みがこぼれはじめたとき、前をは走る周回遅れの車を抜こうとしたとき、右後輪が接触し、タイヤがパンクしてしまった。スロー走行で走り続けるのを、ピットは待つしかできない。ピットに入ったのはアクシデント発生から14分後。タイヤを変えて再びコースに戻すがタイムロスが大きく、6位に転落。表彰台は絶望的となった。残り3時半、周回遅れの車と接触しクラッシュしてしまった。もう走れない、託した夢も希望もここまでとなった。チームを襲ったアクシデントは全て他車による接触だった。世界一過酷な24時間の終わりを告げるチチェッカーフラッグ。レースを走った134台のマシンのうち、完走したのは88台。そのサバイバルの頂点になったのはBMWだった。KONDO Racingは目指した場所に立つことはできなかった。
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