テリー・ファンクは1965年にプロレスデビュー。1970年には父シニア、兄ドリーと共に初来日。以降、トップレスラーとして日本のリングに上がり続けた。1976年に日本で鶴田とのNWA王座防衛戦を行った。テリー人気を不動のものにしたのが1977年のブッチャー&シークとの死闘だった。
大仁田厚の思い出のテリー戦は1977年の世界オープンタッグ。大仁田は「テリーの凄いところはオーソドックスもデスマッチもハードコアもできるところ。テリーを慕うレスラーは多い」と話した。渕正信の思い出のテリー戦は1976年のNWA世界線。
追悼の10カウントゴングを行った。
大仁田厚の思い出のテリー戦は1977年の世界オープンタッグ。大仁田は「テリーの凄いところはオーソドックスもデスマッチもハードコアもできるところ。テリーを慕うレスラーは多い」と話した。渕正信の思い出のテリー戦は1976年のNWA世界線。
追悼の10カウントゴングを行った。