社員を外部から引っ張ってくるのは山中の戦略で、人材にとどまらず4つの事業を同時展開している。農業では54棟のビニールハウスでベビーリーフを栽培。山中は地域の農家が儲かっておらず、自分たちができることをと考えた時に農作物の単価を優位に決めることの出来る市場を分析していくと有機農業があったという。日本の生産者には敬遠されがちな有機農法だが安定して栽培できれば単価が高いので勝負ができると考えた。農業部門のグループ会社を作り、トップに据えたのは中條大希。都内のベンチャーで働いていたが、Uターンで農業経験0からのスタートだった。そのために収穫できないこともあったというが、そこでビニールハウスごとに土の深さや与える水の量などを変えて最適な環境を探し出した。さらに全国の農家をまわって現場の知恵や最先端の技術を教わり持ち帰った。そうした努力は実を結び農業事業は軌道にのり、収穫も安定した。3年間で農業部門の売上が7億円に拡大したという。この成功に地元の若手農家も反応し、有機栽培の技術などの勉強会に参加し全国の農家と情報交換を行っている。