低迷期の時に、手を差し伸べてくれたのが齋藤工だった。ブレイク前から知ってくれて、ファンですと言われたという。ライブ映像を渡すと、ダビングしていろんな俳優に渡してくれた。さらに「MANRIKI」という映画も作ってくれた。その後、テレビのマネごとをYouTubeをはじめた。最初は誰も見てくれなかったが、大好きな洋楽を解禁したらすこしバズった。洋楽がきっかけでラジオとかに呼ばれるようになった。
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